滑稽な海 │ 東京都現代美術館 ユージーンスタジオ「新しい海」
展覧会の会場を出て、いや、会場内に居るときから、ずっとモヤモヤしている。原因はわかっていたけど、その日のうちにはうまく言語化できなかったから、noteに書いてまとめようと思う
東京都現代美術館 ユージーンスタジオ「新しい海」。
作品は素晴らしかった。
吹き抜けの天井に、四方が合わせ鏡の「海庭」、2001年宇宙の旅に触発されたというインスタレーション作品「善悪の荒野」、一見ただの白いキャンバスにしか見えない作品には、人々の接吻が重ねられているそうで、作品の形というよりかは作品に内在する意味を味わうものも少なくはなかった。
だけど。
海を囲む鏡で自撮りする人たち。
「善悪の荒野」の前で、ポーズを何度も変えてその日のコーディネートを写真に撮る人たち。
真っ白いキャンバスの前に立ち、作品の詳細を見る前に「この白い『背景』で好きなインスタグラマーが写真を撮っていたから同じ構図で撮ってほしい」とカメラを渡す人。
この人たちには、作品がポートレートの「背景」として認識されているのか。
このことを考え始めた途端、展示されてる作品の意図うんぬんを考えることよりも作品に対峙する鑑賞者にしか目が向かなかった。
なぜ自分が今回の展示にこんなにもモヤモヤを感じたのか?
もうひとつには「自分が低俗・大衆的なものが好き」というレッテルが貼られることへの嫌悪があると思う。
インスタにはびこるような大衆的なイベント、大勢の人が好きなものを好きになれない自分のひねくれはもともとあったが、今回の展示のような誰もがなりふり構わず写真を撮るような低俗な場所に自分が来ているという「事実」に対しての嫌悪感もある。
私は殆どの鑑賞者にあきれたし、怒りを覚えたし、滑稽だとも思った。でも、私の「作品に込められた意味を味わいながら作品を鑑賞する」この価値観を強要することも、たぶん間違っている。作品の制作の意図なんて考えずに、作品を見て素直な感想を持って、写真を撮るのもひとつの楽しみ方なのかもしれない。
けど。だけど。
作品を自らの写真の「背景」として見ている人と同じ空間で作品を見たくなかった。こう思ったのは初めてかもしれない。
今回の展示で恐ろしいのはこれらの行動をとる人々が少数派ではなく多数派だったということ。
そしてこんなに批判しながらも自分も「低俗」な写真を一枚も撮っていないわけではないこと。
あんなにもきれいな海庭が、インスタへと昇華されていく滑稽な海になってしまったことが、ひどく悲しい。
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