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イタリア暮らしの思い出 Ⅰ

先日久々に職場でイタリア語を話す機会がありました。
改めて、「イタリア語が好きだ!」
と思いました。
ほんの少しイタリア語を使っただけなのに、とても幸せな気持ちになりました。
二十歳で「眺めのいい部屋」を観てイタリアに行きたい!と思い、その後ずっと
イタリアが好きで、noteでも、イタリアのことを書いた記事が一番読まれていることもあり、これからしばらく、イタリアで暮らした2年間とそのあと何回か旅をした思い出を書いていこうと思います。
どうしてこんなにイタリアが好きなのか、自分でも不思議なので。

暮らしていたのはローマです。好きな場所はたくさんありますが、よく通った場所は、サン・ピエトロ寺院の近くの郵便局です。 
ここから手紙を出すのが一番確実で、一番早かったので、ほぼ毎週、手紙を投函しに行きました。
当時(1989年~1990年)のイタリアの郵便事情は日本では考えれられないくらい悪くて、このバチカン市国の郵便局だけを信頼していました。

住んでいた場所の近くのバス停から64番のバスに乗って、バチカン市国に向かうのですが、何しろ観光客でひしめくローマの中でも、とにかく大勢が詰めかける場所なのでバスが混みあいます。

当然ながらスリもいます。胸の前にしっかりと抱えたカバンのファスナーを開けようとする手を、「ちょっと!何やってんのよ!」とバシッとたたいて、事なきを得る、などは日常茶飯事。これは日本語でも、イタリア語でも英語でも効果があります。相手がイタリア人ではない場合も多いし、「やめろよ!」という意思表示が大切なので。

一度、ご高齢の修道女の方に席を譲った時には、頬を撫でられて、「ありがとう。神のご加護がありますように」と満面の笑顔で言われ、信者ではありませんがちょっと嬉しい気持ちになりました。

信者でなくても教会には入れますから、郵便局のついでにサン・ピエトロ寺院に寄り道します。そこに大好きな彫刻があるので、それを見に。

地球を踏みしめる女神と、大理石のカーテンを持ち上げる羽根の生えた骸骨。世界的に有名な「ピエタ」より、この彫刻が好きでした。

当時自分で撮った写真をスマホで撮影しました

びっくりするほど広い空間が、人々の祈りや、感嘆や、喜びや、いろんな感情であふれていて、長い長い年月がそこには降り積もっていて、外の喧騒が嘘のように、静謐な空間。それも本当に広い空間。
首を45度の角度で固定したまま、フーッと鼻から息をはいて、この場にいる幸せを噛みしめ、サン・ピエトロを後にします。

その後向かうのはトレステベレ。ここからはずっと徒歩で。
テヴェレ川の、市街地から見て反対側は下町のような雰囲気で、個性的なアクセサリーのお店や、美味しいトラットリアなどがあったのですが、私のお目当ては小さい古い映画館。ローマで唯一、英語で映画が観られる場所。

入口には金髪のパンクな髪型で体格がよく、目の回り真っ黒の厳ついメイクのおばさまが座っていて、最初は恐々チケットを買っていました。何回か通って話すようになると、ドイツ人で、イタリアが好きで住み着いたのだと言っていました。

封切りされたばかりの新しい映画じゃなくて、ちょっと前に公開された映画が上映されていて、まだイタリア語で映画を観るのが、難しかった私にはぴったりの場所でした。
観たことのある映画がかかっていることもあったけれど、映画好きとしては、週に1本は映画が観たいから、1年目は本当によく通いました。  
映画の余韻を噛み締めながら、橋を渡り、「真実の口」のある教会の脇を通り、チルコマッシモ経由でずんずん歩いて、住んでいたサンテラズモ通りの寮まで帰ります。 

暗くなったら一人で出歩かないようにと言われていたので、晩ごはんは自分で作ります。
ある日の晩ごはんは、
バターをからめたパスタに滅多に手に入らない永谷園のお茶漬けをかけるという、シンプルだけどある意味贅沢な1皿と、サラダとワイン。
一人で過ごすお休みの日はこんな感じでした。


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