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HIV陽性をきっかけに、HIVとともに生きる人を支えるようになった ウガンダのジョイさん

何か困難にぶつかり乗り越えることができたとき、「同じような困難を抱えている人の力になりたい」そう思った経験は誰にもあるのではないでしょうか。

つらさがわかるからこそ、同じ思いをしている人に寄り添いたい、力になりたいという気持ちは、多くの人が持つ自然な優しさなのかもしれません。

そんな思いを形にして、18年もの間、活動を続ける女性がいます。
ウガンダのジンジャ県で活動するジョイさん。
PLASが協働しているパートナーの現地団体「カユンガ」のリーダーをしています。

HIV陽性の人を、HIV陽性の人が支える活動

「カユンガ」は1999年にジョイさんが仲間とともに立ち上げた地域団体です。メンバーはすべて「HIVとともに生きる」人たち。
メンバーの多くはシングルマザーやHIV/エイズで両親を失った子どもを支えるおばあさんたちです。

シングルマザーの多くは子ども時代に教育を十分に受けられなかったことから、なかなか仕事に就けず、貧しい生活をしています。
おばあさんたちは高齢のために仕事ができず、育児をするのも体力的に大変。自分たちだけでは子どもたちを支えることが難しいと言います。

そこでジョイさんたちがやっているのが、共同で農業や養鶏をして、みんなでみんなの生活を支え、支え合うという活動です。

こちらはPLASの支援により始まった農業。畑を見せてもらうと、みずみずしい野菜たちが出迎えてくれました。

PLASの支援により養鶏も開始しました。当初はヒヨコが元気にしているか気になって夜も眠れないメンバーがいたとか。
今ではすっかりお世話にも慣れました。

夫の死がきっかけに

笑顔が素敵なジョイさんにも、つらい時期がありました。

夫をエイズで亡くしたのです。
失意の底にいたジョイさんにHIV検査をすすめてくれたのは、お父さんだったそうです。
娘の健康、そして命を思って検査をすすめたお父さんの気持ちを想像すると、ぎゅっと胸が締め付けられます。

結果は「陽性」。

その後、お父さんはジョイさんにHIV陽性の知人を紹介しました。ジョイさんはその方が住んでいるカユンガ村に引っ越してきたのです。

それから、ジョイさんは、カユンガ村のHIVとともに生きる人たちと共に、HIV陽性者の当事者グループを立ちあげます。

自身のHIV陽性を受け止めるだけでも大変な人が多い中、なぜ同じ立場の人を助けるために立ち上がったのか、その原動力はどこから来るのか、わたしはジョイさんの強さに驚きました。

元々ジョイさんは、HIV陽性が分かり引っ越しをする前まで、地元で貧しい人たちを支援する活動をしていたそうです。
お兄さんが地域の恵まれない人を支援する活動をしていたのを見ていたジョイさんは、「自分も人助けをしたい」と思い、同じように活動をはじめます。畑でキャッサバの栽培をして、それを支援するなどの活動を続けていました。そして、いつしかリーダーとして団体をまとめる立場になったそうです。

HIV陽性だとわかり、引っ越しをしてからは、自分と同じHIV陽性の人のために「カユンガ」を立ちあげて活動をはじめました。地元でのリーダーとしての経験が、「カユンガ」の立ちあげにも活かされたといいます。

PLASとの一番初めの出会いが忘れられない

PLASとの活動の中で一番印象に残っていることは何ですか?と聞くと、「PLASとカユンガの一番初めの出会いです。」と答えてくれました。

最初にカユンガとPLASが出会ったのは2011年。

当時、海外事業を担当していた大島(現PLAS理事)が、ウガンダで協働できるパートナー団体の調査を行っていました。そこで出会ったのが、カユンガでした。その出会いから1年以上をかけて、じっくりとお互いの団体を理解し合い、事業をつくっていきました。

最初の事業は養鶏。
そのときのことを、ジョイさんはこう語ります。

「鶏舎を立てるとき、大島さんは建設現場の監督をしていて、建設が終わった後、ヒナが運ばれてきて、ニワトリの育て方を教えてくれました。メンバーたちは熱心に育て方を教わりました。こうして、今もプラスとの関係が続いているのはとてもうれしいです。」

PLASでは養鶏研修を実施し、上の写真にある鶏舎を建設しました。

この18年で、わたしたち自身が大きく変わった

ジョイさんが活動を始めて18年、PLASと協働をはじめて8年。

「HIV/エイズに対する周りの人の理解、そして陽性者であるわたしたち自身が大きく変わったと思いますね。」

ジョイさんは屈託のない笑顔でそういいました。

昔はHIV/エイズに理解がなく、90年代半ばにはウイッチドクター(呪術医)の元に治療しに行く人は今より多くいたそうです。

HIVとともに生きる人は差別をうけ、近寄ることさえ避ける人もいました。カユンガでは治療薬をバイクで各家庭に配達していますが、それも「バイクの配達が来ると陽性者とわかってしまうのが怖い」と嫌がる人もいました。

「陽性者たちは、自分に自信がなかった。HIV陽性であることにかなり悲観的だったメンバーが多かったです。どうせすぐ死んでしまうのだからと言って、積極的に活動できない人もいたんです。」

今はどうでしょう。
ジョイさんは、大きな変化が生まれてきたといいます。

「HIV陽性であっても他の人と変わらずに明るく生活できることは、わたしたちの仲間を見れば明らかですね。」

HIV/エイズに対する理解も深まり、差別は以前と比べて随分と減りました。陽性者は治療を正しくすれば陽性であっても健康に生活できるため、悲観的になることも少なくなったそうです。

農業事業や養鶏事業を通じて、シングルマザー達は以前と比べて、子どもをより良く支えることができるようになりました。
例えば、これまで一日に一回しか与えられていなかった食事も、今では一日2,3回与えることができます。
そして、子どもを学校に送ることができ、本なども買い与えることができるようになりました。

10年後にどのような地域を実現していたいですか?

10年後には、より多くの子どもたちができるだけより良い教育を受けられたら、とジョイさんは願っています。

カユンガのメンバーで中等教育を修了したのはには6人に1人ほど。だからこそ教育の重要性を感じているといいます。

メンバーたちは、子どもたちにはより良い教育を受けて、少なくとも中等教育、できれば大学などの高等教育を受けてほしいと思っています。

その人の持つ輝きを、信じる支援

わたしたちはウガンダで「貧しい人たち」「弱い人たち」とレッテルを張ることはしたくないと思っています。

HIVとともに生きることは、確かに大変なことかもしれません。
治療し続けなければならないし、差別もあります。
そんな現実も受け止めつつ、わたしたちはあえてその人の持つ輝きに注目したいと思うのです。

わたしたちPLASは、大きな可能性を持つ人たちと、その可能性を開花させることをしたい。

ジョイさんのような素敵な現地の人たちと力を合わせて、地域のみんなの力を借りながら、ひとりひとりが自分の力を少しずつ開花させていけるように、活動をつづけていきます。

★★★

PLASではジョイさんのような現地の方たちとともに、エイズ孤児を育てるシングルマザーやエイズ孤児たちが自分らしく前向きに人生を切り拓くことができるよう活動を行っています。これらの活動は寄付によって運営されています。

是非月1000円からのマンスリーサポーターによるご支援をお願いします。


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