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ありきたりな言葉が10年も私を支えてくれた話

高校3年生の2学期。私たちは教室の前の廊下で模試の結果を見せ合っていた。

「塾に行かなくても、そんな成績とれるなんて羨ましい。私、勉強の才能ないや。全然、成績が上がらない」

「俺は、そうやって、努力できるのも才能だと思う」

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今から10年以上も前のこと。
ありきたりな言葉だけれど、今でもきつくなった時にこの会話を思い出す。

頭もよく人気者の彼。そんな彼に認められた気がして、『もっと頑張ろう』『まだまだ頑張れる』って、自分を追い込んで、大学受験に挑戦した、その時のお話。

今回は、そんな高校時代のお話を書きたいと思う。


援助交際の噂から始まった高校生活

高校3年生のとき、進学校に通いながら偏差値30代だった私は、偏差値60代の大学進学を目指していた。

そもそも、なぜ、進学校に通いながら偏差値30代となったのか。その話からしたいと思う。話は、高校1年生にさかのぼる。高校時代の私は、一言でいうと荒んでいた。

高校1年の1学期、初めて付き合った彼氏と別れた。その後すぐに高校である噂が流れた。

「あいつは、遊んでる。」「あいつ、援交してるらしいよ。」

あいつ=私。

田舎の進学校。噂はすぐ広まった。援助交際の噂は、初めて付き合った男の子が流していた。彼は同じ中学校出身。噂は、瞬く間に同じ中学校出身の男の子たちを中心に広まっていった。

高校デビューなんて夢のまた夢。友達100人どころか、周囲と絶妙な距離を感じる。そんな周囲との絶妙な距離感に苛立った私は、さらに自分から周囲との距離をとった。

学校にいる間は適当に過ごし、授業が終わればバイトや違う高校の友人との時間を優先した。『バイトすればお金を稼げるのに』と机に向かうのも馬鹿らしかった。

学校生活に引き戻してくれた、彼

高校2年生になってもバイト中心の生活は変わらなかった。
自分から周囲との距離をとるのにも慣れていた頃、彼との出会いが私を変えた。彼は、初めての彼氏と同様、同じ中学出身だった。そして、彼は2年のクラスの中で人気者だった。

2年生になったばかりの私は、彼のことを避けていた。
同じ中学校出身の男の子はみんな『あの噂を信じて、裏でコソコソ言ってるんだ』と決めつけていたから。

そんな私の態度にお構いなく、彼は私に話しかける。
「テストどうだった?」「これ、今なにしてんの?」「お前、頭悪いなー」

何気ないごく普通の会話。

だけど、私はうれしかった。噂のことなんて微塵も感じさせずに話しかけてくれる。そして、彼は、周囲の人を巻き込んで会話をした。気づけば、私は自分から距離をとっていたことも忘れていた。

そのおかげで男の子や女の子のどちらの友人にも恵まれた。相変わらずバイト中心の生活だったが、文化祭などの学校行事にも積極的に参加した。
彼との会話をきっかけに、周りのクラスメイトと関り、学校生活を楽しむことができた。

落ちることに慣れてしまっていた成績

学校の生活が楽しくなってきた2年の終わり。

進路希望を出す時期がやってきた。高校1年から2年にかけて、まともに勉強をしていなかった私の成績は散々だった。全国模試の結果は、偏差値30代。学内順位なんて下から数番目。

援助交際の噂を流されふてくされ、バイトに明け暮れた1年。
バイト中心の生活から抜け出せない中、学生生活を楽しんだ2年。

勉強しようなんて、全く思わなかった。

思えば、1年の時は真ん中から上の方の順位だった。
決して良くはないけれど、悪くもなかった。
でも、一度下がってしまうと、あとは下がることに慣れてしまった。下がることに抵抗がなくなった。
343人中343位。そんな順位を見てもなんとも思わなくなった。

その結果、偏差値30代まで落ちた。
でも、進路を選ぶ時期が来てしまった。1年後には高校を卒業してしまう。


わたしは何をしたいんだろう

答えは、でなかった。
でも、働くイメージが湧かなかった。今の自分が受かる大学を選ぶことは、どうしてもいやだった。

そして、わたしを高校生活に引き戻してくれた彼と、まだ一緒に学生生活をしたいと思った。
一緒の大学に、行きたいと思ってしまった。

だが、彼は、ものすごく頭がよかった。国立大学に余裕で受かりそうなほどに。

私が英語のリスニングテストが8点だったと伝えたときは、「目をつぶってマークした方がいい点数とれそうだ」と大笑いしていた。

私も「その通りだ」と笑いながら、本当は悔しかった。
『彼と同じ大学に行きたい』『せめて、同じくらいの学力にならないと、自分の想いを伝えることもできない』と、勝手に彼を目標を決めた。

どれだけ勉強しても、E判定

高校3年生。その頃になると、同級生たちはある程度グルーピングされる。
頭のいいやつと悪いやつ。
学力の高い大学を志望しているやつとそうでないやつ。

私は、頭の悪いにもかかわらず、学力の高い大学を志望している無謀な奴だった。1年の時、援助交際の噂で盛り上がっていた人たちは、今度は私の見えるところで「またネタができた」「無謀な奴だ」と陰口をたたいていた。

志望校を決めたとき、周囲の多くが私を引き留めた。
「無謀だから、やめといたほうがいい」「無駄だよ」と言われた。担任の先生や他教科の先生にも「考え直せ」と言われた。

それでも私はあきらめなかった。勉強した。毎日10時間ぐらい勉強した。
学校に行っても、受験に意味のない授業だと思ったら、受験勉強を優先した。課外授業は、受験のためにならないと行かずに、勉強をした。

模試も受けた。結果を見て落胆した。
彼に見せては、「お前、無謀すぎ」「まじチャレンジャーだね」「がんばれよー」などと笑いあっていた。

彼とは、模試を受けては結果を見せ合った。それが習慣になっていた。

2学期になると、偏差値は30代から50くらいになっていた。でも、志望校にはまだまだ足りなかった。ずっと、E判定だ。心が折れてしまいそうだった。そんなときも、彼と模試の結果を見せあった。

彼は、志望校A判定。私は、E判定。

いつの日か私は、彼に弱音を吐いた。
「塾に行かなくても、そんな成績とれるなんて羨ましい。私、勉強の才能ないや。全然、成績が上がらない」と。

そしたら彼は、「俺は、そうやって、努力できるのも才能だと思う」と、「俺なら無理。無謀すぎて。挑戦すること自体がすごいことだよ」と、そう言ってくれた。

彼は、1年、2年とコツコツと勉強してきた人間。
私は、勉強しなかった人間。

それなのに。認めてもらった気がしてうれしかった。
でもなんか悔しくて、照れくさくて、「うるせー」なんて言葉を返して、彼に背を向けた。

あれから、10年。

私は、結局、第一志望には行けなかった。
彼は、さらにレベルを上げて、県外の大学に入学した。
彼と同じ大学にも行けなかったし、想いを伝えてお付き合いなんて未来にはならなかった。

あの時、思い描いた未来には、何ひとつ叶っていない。

でも、偏差値30代の頃を思うと、ある程度の大学には入学できたのだと思う。
あの時、多くの人が反対する中、頑張れたのは、彼のおかげ。
「努力できるのも才能」「挑戦すること自体がすごい」そう言ってくれたから、今の私がある。

今は、大学を卒業し社会人になった。

今では、中堅社員と呼ばれる世代。きついことも多いし、頑張って結果がでないことなんて、よくある話。
それでも、「まだ頑張れる」って思えるのは、あの時の彼の言葉があるからだと思う。

何気ない会話だけど、私にとって励ましの言葉だった。
それだけで、私は頑張れた。

高校2年の時に彼と出会い、何気ない会話をしなかったら、大学受験もしなかったと思う。きっと、高校生活もろくに楽しめなかった。今の私があるのは、何気ない彼との会話に支えられたおかげだと思う。

否定的な人が多くても、見てくれてる人がいる。励ましてくれる人がいる。
そう思って、今日も明日もほどよく頑張っていける。

30歳になり、今は別々の人生を歩んでるけど、本当に感謝してる。
ありがとう。

#あの会話をきっかけに

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