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人が作って、人が働いて

去年の今頃、(当時)新しい首相が誕生して初めての国会、代表質問の2日目というタイミングで、国会を見学する機会に恵まれました。

国会は国の粋を集めた建物で、その時に聞いた説明では、ほとんど100%国産の材料や技術だとのことでした。大正時代に建てられたとのことなので、現代の思想とは少し離れている部分もありますが、国の行く末を決めていく崇高な場所としての存在感は、とても強く感じられました。

個人的に思ったことは、国会は広大な敷地でもなく、華美な装飾などありませんでした。必要な部屋が整えられ、格調のある装飾がされており、どこを見ても「大事に使わなくては」と思えるような、気迫が感じられました。

とはいえ、中心部に描かれていた西洋画のような日本の四季を表した絵画群も、当時の芸術大学の学生によるものだとか。描いた学生はとても名誉なことだったと思います。

単に、時間がなくて人数をかけて作業していたということもあるでしょうか、高所でさらに当時は照明なども足りていないでしょうから、日中にしか作業ができなかったという理由もありそうです。

来週、衆議院選挙の投票日を迎えます。(写真は参議院の議場)

今回は選挙期間がとても短いとのことでしたが、それは街中の選挙カーが走り回る日数が少ないだけ・・なのかも知れません。

この頃、ネットでの署名や、Twitterでのハッシュタグなどによる、いわば国民の”声”が、社会を動かしたようなことが何度かありました。それはネットの特性として、目立っていたのだという説もありますが、ネットを使いこなす世代の声を出す方法が確立されてきたということでもあるのかも知れません。

単なる世論調査による支持率という数字だけではなく、特定の層が感じていることが文字化される、それは数年前までは”取りに行く”情報だったのだと思います。しかし、批判や悲哀が浮き彫りにされやすいSNSでは、顔が見えないけれど切実な思いが吐露され、それに共感が集まるのだと思うのです。

選挙権が若者に与えられること、国会の壁画を描く作業をしていた学生に選挙権があったとしたら、果たして今の現状をどう見ていたでしょうか。いや、若者が選挙に行かないことがけしからん、という短絡的なことを書きたいのではなく、自分と政治の距離感は相当近づいているのではないかと思うのです。

投票用紙には年齢や性別を書く欄はありませんが、投票をした人の統計的情報は反映されます(投票用紙を交付する時に、名簿と照合するのです)。

それを見て、政治家が政策を考えていくとすると、たとえこれまでと変わらない顔ぶれが選ばれたとしても、何かに気がつくことができるかも知れません。

上手く表現ができませんが、ネットで言葉にする方法以外にも、試して欲しいなぁなんて思うのでした。

国会の食堂で食べたカレー、美味しかった。

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