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健康な生活をしている。
健康な生活と言うと、二年前に十和田湖で出稼ぎをしていた日々のことを思い出す。
最寄りのコンビニまで車で30分はかかる田舎に住んでいた。勤め先が提供してくれた寮からは歩いて5分で十和田湖の湖畔にある桟橋まで出られる。所謂アパートタイプの台所は入り口側に面していて、シンクの真向かいに小窓がついている。どの季節だって朝に起き出した時には肌寒い風が入ってくる。寮の真裏には小川が流れていて、毎日そのせせらぎで眠りにつく。WiFiのない寮で当時解約済みのiPhoneとガラケーだけを持っていた私の娯楽は、本とノートパソコンで観る映画だけだった。自然に身を置いてリラックスすることだけのためにあるホテルで働くのは、すこしも辛くなかった。日々変わっていく自然を見ながら、新緑も葉桜も春霞だって身をもって知った。何かに出会うためにたったひとりでこつこつと準備をしているような期間だった。語り尽くせないほど多くのことを学んで、いま溌剌としているわたしの大部分を形成してくれた場所、日々だった。
その頃とはまた違う健やかさが今のわたしにはある。迷い迷って時間をかけて、もう逃げられないところまで来た。自分だけで決断しようとすらせずに、札幌に住む理由や目的が出来た。5年間もの間住みたい場所を探してるなんて口癖でふらふらしていたけどそのわたしが迷わず札幌に住むことを決めた理由は恋人の存在とアルバムを制作するっていう二つだった。
ひょんなご縁で生き生きとしていたら新しい勤め先が2つ決まった。どちらも、自分の歌に直結する場所。いよいよもう本当に自分の人生を歩いていると思う。十和田湖は自分の人生を歩む準備みたいなものだった。今のわたしは自分の本当にやりたいこと、そしてやりたいことに繋がることの中にはっきりと身を置いている。
自分の身体のためにご飯を作って食べて、自分の歌を練習するためっていう理由で恋人からの電話を終えて、自分がはっきりとした頭と目でいられるように部屋を掃除して早く寝ている。自分っていう人間にとっての贈り物かのような恋人と過ごす時間を大切にしている。湧き上がるどれだけ悪い感情だって見つめて手放したりよく考えて答えを与えたりしている。
今の自分に足りないものはあるけど、問題はなにもない。目の前に伸びる道の存在がはっきり感じられる。もうやる前から不安になって寝っ転がって悲しむことはできないし、いまの生活の中に落ち込む要素が何もないということが、暫くの間そんな時期がなかったからこそ(本当はきっとずっと落込む理由なんてなかったんだけど)いずい感じがあるけれど、今日一日やりたかったことを全て終えて、あとはお風呂に入って寝るだけっていうこの時に、ふと外に出て、風に揺れる葉を見ながら、その風に頬を撫でられながら、好きな歌を口ずさんだら、ちゃんと、初めて好きな人とふたりで会う前の道のりのような、この今に存在していることを心が感じている状態になる。

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