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ひきこもり先生


普段、見た作品の感想は心の中にとどめるか、親しい人たちに話す程度なので
こうして文章にすることはなかなか無いのだけれど
自分の覚書きと、これからを生きていく中でふと立ち戻るために。

前回のシーズンも、このシーズン2も、胸が苦しくなるような、あたたかくなるような
ぐるぐると色々なことが駆け巡りました。

自分自身も、この「社会」という枠組みの中で30年生きてくる中で
馴染めないことや、苦しいこと、不安なこと、不条理なこと
たくさんあるけれど

コロナ禍になって
子供たちやひきこもり、ホームレス、ヤングケアラー、
そうした名前のつかない「普通」に見える人の中にも
声に出すことのできない「苦しさ」がたくさんあって。

日本人の中にある、「同調圧力」というものや
「人と違うことをしない」「目立たない」「同じようやる」ことのプレッシャーや
見えない糸のような基準、線引き、境界線

「おかしい」と思うのに声を上げられないこと
「こうしたい」と思うのに消してしまう希望

そんな苦しさがぶくぶくと膨らんでいる

マスクの下で見えない表情

やりたいことができない制限

時間は戻らず、この3年間はやりなおせない。

闇は広がり、溝は深まる

どうしたらよいのだろうか、途方もない。

それでも、
できることをやる。

花を植える。

「こんにちは」「おはようございます」「こんばんわ」と挨拶をする

「ありがとう」「ごめんなさいね」と声をかける

「大丈夫ですか」と手を差し出す

せめて、自分の目と耳と手と足の届くところ

周りにいる人たちを

すこしでも、あたためることができたなら。

正社員でも、アルバイトでも、フリーターでも、職がなくても
結婚していても、独身でも、離婚していても、子供がいなくても
家がなくても、性別が異なっても、
大人に理解されなくても、子供に伝えられなくても、

苦しい時、大きな声で言えなくても
せめて、隣の誰かに聞いてもらいたい

インターネットでつながっている隣の誰かでも

自分の横に座っている名前も知らない誰かでも

そうやって、隣にいる誰かの小さな声に気づけたら

耳を傾けることができたなら

そっと背中に手をあてることができたなら

世界はもう少しだけ、明るくなるのではないだろうか。

まだまだ、自分はちっぽけで頼りなく

風が吹けば飛んでしまうような存在に見えて

それでも、風が強いなか

私の隣で誰かが下を向いていたら

そっとそばに座って、じっと居てあげられるような

そんな人でありたい。

どんな生き方でも、どんな人生でも

その人にしか歩めない時間があって

その人にしか感じられないものがあって

優劣など、決してつけられないのだと

誰かに何かを決めつけられることなど、決してないのだと

そのことに気づかず、苦しい思いをしている人があれば
その人の心に、少しでも光を
あたたかさを差し出せる人に

なりたい。

だから、この先も
苦しくても、不安なことがあっても、もうだめだと思っても
自分の手の中にある
小さな灯をそっと握りしめて
心を真っ赤に燃やして
頬を桃色に染めて
目は澄んだ黒曜石のような光で

この先も

この先も

精一杯、生きていきたい。

みんなと、生きていきたい。

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