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3・9の日

3月9日。
サンキューの日。感謝の日。ありがとうの日。

今年に入ってから、もう2ヶ月と9日。

大泣きした日は2日。
ちょっぴり泣いた日は数え切れない。でも、なんとか生きている。

大事な人を失ったり、これから先のことが見通せなかったり。
気分は穏やかな日もあれば、どんよりしたり、絶望したり。
今のところ、5:3:2ぐらいだろうか。
以前は数字でみるのが苦手だったけれど、データは裏切らないということを仕事をしてきた中でちょっとはわかった。

物価は上がり、少子化は続き、日本の経済はどうなっていくのか考えたし、
介護とか、人手不足とか、あと数十年したら、どうなっていくのだろう。
まわりの友人たちは皆、結婚し、第一子、第二子と、SNSでは子育ての様子の写真や映像が流れてくることが多くなった。
長くお世話になった人が、様々な決断をして、地元に帰ったり、お店をたたんだり、自分のお店を始めたり。
変わらないものは何もなく、年月と共に変わっていく。

それでも、
会おうよ、と言ってくれる友人たちと色々な話をしたり、家族と世の中のことや色々な話をとりとめなく話したり、そんな日々の会話の中で色んなことに気づかされ、
絶対これ見なさいと何本かの映画を教えてくれたり、
のんびりすぎる私に、のんびりで何が悪いんだ、自分の時間で生きていけと言ってくれたり、
仕事仲間の若い女の子たちから、姉のように慕われ、癒してくれてありがとうと感謝されたり、
色んな人に少しずつ、日々を生きる栄養をもらっている。

今年はもう少し、静かに呼吸を整えて、
生きることを丁寧にやってみたい。

そんなことを毎年言っている気がするけれど、
それでも、毎年、新しく、
「生きること」を、丁寧にやってみたい。

それはたとえば、道端の小さな花とか、夕焼けの空とか、
誰かの思いやりとか、人に言えない息苦しさとか、
そんなものに気づいて、そっと心を寄せることや、
そっと声をかけてみることや、
そんな小さな取り組み。

不器用だし、のんびりで効率的にできないし、アナログだし
タイパとか意味のわからない言葉の正反対に生きているような人だけど、
それでも、自分が描きたいものは、表現したいものは、
「光」なんだ
ということだけは知っている。

生きている中にある、光を
拾いあつめて、
なんとか、それを、
誰かに
届けたいだけ。

生きていくことにしんどくなっているけれど、
それでも
ここ数日
絶望の中で聴いていたサンボマスターの詩にハッとして、舞台のアイディアが急に浮かんで、友人の演出家に「ちょっと話したいから来週会ってくれ!」と突然連絡をしたり、
寝る前に映像でやりたいことが突然閃いて、シュミレーションを繰り返し、まずはこの人たちに連絡を取らなきゃとあれこれ考えて眠れなくなってしまったり、
通勤する電車の中では数分に一回小さな測量ノートを取り出してメモしまくっている私は、
やっぱりまだ、ここでやりたいことがあるのだと思う。

だから、もう少し、
生きてみたいと思う。

お世話になった人たちに、
ただ、ありがとうを言いたくて。
ここで、生きてるよと
便りを出したくて。




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