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ネルマチ


 ここはただの空き地。そんな場所の入り口にひとり、ポツリと立っている人がいます。大きな黒いふわふわの帽子と真っ赤な制服。外国の兵隊さんのような格好で、何やら門番をしているようでした。
そんな彼のもとに一台の真っ黒なバスが止まりました。バスから降りてくる人たちは誰一人として表情が変わりません。悲しんでいるような、そうすることも諦めているような。
最後に降りてきたのは、髪を短く切りそろえた背の小さな女の子でした。番人は、おや、と訝しがりました。その女の子も他と変わらず無表情で、長い間バスに揺られて疲れているわけでもないようでした。
「君はどうしてここへ来たんだい」番人は聞きました。
ビー玉のような黒い瞳は迷いもなくこう言いました。
「いらないから。」
その言葉と同時にバスは遠くへ走っていきました。
 先に降りた人たちは無気力そうに空き地へ入っていきます。
「私、知ってるよ。ここは、いらない人たちが連れてこられる場所なんだよね。」
みんな聞こえているはずなのに誰も反応しません。女の子が言っていることが当たり前というように。
ここに捨てられる人を何人も見てきた番人は、こんな小さな女の子でも捨てられるのか、と思いました。
「そうさ。嘘をついた人や騙した人、仲間はずれにした人や仲間はずれにされた人もここにはいる。みんな、いらないから捨てられたんだ。
人を大切にできない人は幸せになれない。
幸せに、なっちゃいけないんだ。」
作った柔らかな表情で淡々と番人はそう言いました。
女の子は何も言わず、うつむいて空き地へと足を進めました。

 ここに来て二日がたった、と思う。私はただ隅の方に座って周りの様子を伺うだけだった。誰もここを離れようとしないし、だからと言って楽しい場所でも居心地のいい場所でもない。
(いらないって言われて、みんなヤケになっているのかな。帰らなくても心配してくれる人がいないから、ここにいるのかな)
ただただ退屈で、考えているだけではやりきれない私は、道で寝転んでいる青年に声をかけてみた。
「ここからはでられないんですか?」
「なんだお嬢さん。家に帰りたいのかい?出られなくないけど、出たところで、誰も拾っちゃくれないよ。」
この人は優しさを忘れてしまっているんだな、と思って会話もそのままにしてゆっくり離れていった。
 今度は遠くを眺めながらタバコを吸っているお姉さんに聞いてみた。
「帰れないんですか」
彼女は煙だけはどうか遠くへ飛ばそうと、長く長く息を吐いてこっちを見た。
「帰る場所なんてないさ。捨てられたんだからね。」
爪を飾る青色は、この人の涙なのかなって思った。
「お嬢ちゃん、ここはね。捨てられるほど悪いコトをした人がいっぱいいる所なのよ。無闇やたらに話しかけてはいけないわ。」
「ごめんなさい。あなたはそんな人に見えなかったから。」
お姉さんは目を少しだけ赤くして、なるべく表情を変えずにこう言った。
「そしてここは、いらないって言われて捨てられた人もいる所よ。」
あまり、傷をさぐらないでね、と言われなくてもわかった。

 空はあっという間に暗くなって、電灯もあまりないこの空き地の夜は静かにやってきます。番人はただ一人じっと立ち続けて外の様子を見つめていました。
「なんでずっとそこに立ってるの?」
暗くてみえにくかったのですが、番人はこの間の女の子の声だとわかりました。
「お嬢さん、ひまつぶしかい」
小さな黒い髪の女の子にそう声かけました。
「ここはひんぱんに人が来る。もうじき、街ができるくらいにね。僕はその人たちを迎えなければいけない。」
女の子の頭をなでながらそう言いました。
「私、嘘つきやペテン師やいじめっこが捨てられる理由はわかるんだけど、仲間はずれにされた子も捨てるのは納得いかないよ。」
女の子は悔しそうにスカートを握りしめました。
「悪いやつらもいらないけど、ひとりぼっちの人間だって、いらないからね。」
そう言われてしまったら、今度は全てを否定したい気持ちになりました。
「でも、でも。嘘なんて誰だってつくし、もっと悪いやつを騙して誰かを助けたりしてるかもしれないし、いじめられたくていじめられたわけじゃないはずだし。
……そんなに悪いこと、したかな」
女の子は泣かなかっただけ。おじいさんのお葬式でただ一人泣かなかっただけです。
「みんなそう思ってる。だから街を作るんだ。嘘も独りも許される街をね。」
もう空は真っ暗で番人の顔は見えません。
「そんなことしたら、すごく悪い街になってしまうじゃない。かわいそうな人たちは救われないよ。」
珍しい。番人はそう思いました。ここに捨てられる人たちはもう、何にも関心がないほどに心が枯れていましたから。
「いやなことがあれば眠ればいい。閉じこもって夢ばかり見ていればいい。ここはいらない人たちの集まりだ。」

 そうして出来上がった街は案外、悪いことも起こらず平和に時が過ぎていきました。
嘘をついた人や騙した人は同じことをすればまた捨てられるのかもしれない、と思い、もう二度と嘘をついたりしませんでした。
仲間はずれにされた人は、それをした人を許し、共に仲良く過ごしていました。
 番人はいつも独りです。

―なるほど、人を大切にできない人は幸せになれないのね。
私はそんな番人を見つめて一日を過ごす。

 ここはねむる街。悪いことが悪くなくなるために作られた街。
今日も閉じこもった夢が、動きづらそうに浮かんでいる。

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