青の力学

人という種の力

突出した個ではなく、平凡な群。即ち数。
例えランボーでも、統制された軍を指揮する平凡な指揮官には勝てない。
多くの力を束ね、補い、伸ばし合うことこそが人の最大の力である。

人という個体の力

AならばBで、BならばCで、CならばD。即ちAならばDである。
「エアコンのリモコンのボタンを押せば涼しくなる」
といった風に、その論理の中抜きを理解しないまま「当たり前」だと思って使えるのが、人という個体の強みである。
物事が単純化されることは力を増すことに繋がるから好ましく思い、当たり前への疑念は力を損なうことに繋がるから嫌う。

人の本質

個と衆、孤と集の矛盾と、その天秤の揺らぎたる葛藤。
自分の遺伝子を残すために自身の利を最大化しようとする獣と、生き残るために協力が不可欠であるが故に譲り合おうとする理性。
その矛盾の中で悩み、決断するのが人間だ。

人の性質

人は苦労して手に入れたものを価値が高いと感じ、労せず手に入れられるものを価値が低いと感じる。
必ずしも自身にとって有用かどうかで価値判断をしない。

人の特徴

「鰯の頭も信心から」「織姫と彦星を別つ天野川」
なんでも無いものに意味を見出したり、特別な執着を見せるのが人の特徴でもある。

社会

善悪とは

善とは即ち大多数に賛同される価値観のことであり、悪とは即ち大多数に忌避される価値観のことである。
何故ならば大多数の賛同を集めた者が勝者となり、勝者が善を決めるからだ。
人々の価値観が移り変われば、善もまた移り変わる。

善悪とは

善とは即ち多くの命を保証し、多くの価値観を認めることである。
悪とは即ち人の命運を閉ざし、異なる価値観を廃滅させることである。
何故ならば協力こそが人という種の力であり、その力を最大化させる価値観のことを、善だと考えるからである。

綺麗事

世の中は綺麗に見せているだけで、実際は奪い合い押し付け合う醜さに溢れている。
だがこうとも言える。いつか奪い合い押し付け合う醜い現実が、助け合い支え合う理想に辿り着けるように、いつか嘘が本当になる日を願った祈りなのだと。
そう考えるのなら理想を本当だと錯覚し裏切られたと思う事も、少しずつ嘘が本当になりつつあることの証左だと言えるのかもしれない。

多様性

多様性というのは、種としての対応力の拡大に貢献するが故に重んじられるべきものである。
一個人で網羅できる経験や価値観には限りがある。
だが数によってその多様性を確保し、それらを協力によって結び付ける事が出来れば、新しい力を生む。

SDGsの意義

政治的には、所詮経済闘争の土俵では米中に人口からして勝てない欧州が、土俵を変えて主導権を握ろうとする策略に過ぎない。
だが奪い合う時に必要な強さではなく、協力し合う時に必要な懐の広さに人という種が目指す目標を切り替えようという願いも、また確かにあるはずだ。

生き方

命の価値

二つの捉え方がある。
一つは人生を目一杯楽しむための賞味期限。
一つはこの先の人の世に、支え継ぎ成し遺すために使うリソースだ。

当たり前の命

命が続く事が当たり前だから、理想のために命を懸けることが出来る。
命を守ることに精一杯だと、精一杯守ったが故にその命の価値は高く、軽々に懸けられるものではなくなる。

リソース配分

人の一生には限りがあり、同時に出来る事には物理的制約がある。有限×有限は有限であるが故に、人が出来る事には限りがある。
何かにリソースを振り分ければ、何かに振り分けるリソースが足りなくなる。
そのリソース配分を決める営みこそが生きるという事だ。

弱さ

人が出来る事には限りがある。
だから人は全ての社会問題に取り組み、全ての人に配慮し、全ての正道を通すことは出来ない。
取り組むべき問題がどれだけ沢山見つかろうと、いや見つかれば見るかるほど、立ち向かえない自分の弱さを思い知らされる。
安易な道を選んで楽をしようとする己の弱さにうんざりする。
でもリソースが有限である以上、場所を選んで節約しようとするのは戦略であり、悪ではない。
弱い事は悪ではない。

無力さ

しかしどうしても解決したい問題を直面した時、その問題に対して無力であることは罪だ。
自分自身だけが問う事の出来る罪だ。
あなたがどんな問題に取り組むか、その人生の選択は他人に指図されたり非難されたりするものではない。
裏を返せば、その無力さを正当化して他人を責めるのは筋違いだ。

非力さ

厳密に言うと、人は決して無力ではない。
どれだけ問題の大きさに対して己が小さかろうと、非力であって無力ではない。
今この瞬間生きている時点で何らかの干渉は出来る。
例え己が非力であっても、力を合わせる事で大抵の問題に干渉出来る。
何故ならこの地球は人間の社会であり、僕らもまた人間だからだ。

力への意志

画一的な価値観など無い。1円でさえ、貧者と富豪でその価値は違う。
人は最初他者から取り込んで価値観を構築する。その時点では沢山の人の様々な基準が混ざり合った混沌だ。
だがいずれ、己の人生の目標に対してどれだけ有意義かという基準で再構築した方が、生きやすくなるとは思う。
同じ世界を生きつつも、人によって異なる評価基準、価値観で様々な角度から世界を捉えるからこそ、多様性が生まれる。

支継成遺

人類の歴史の中で、己がどの様な役割を果たすのか。
今あるものを次代に支え継なぐのか、更なる進歩を成し遺すのか。
いずれにせよ、その積み重ねが今の文明を作り上げてきたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?