妄念

 妄念がつきまとっている。

 紆余曲折は経てきたけれど、結局俺は人を信じたいのだと思う。
 信じられる強さを手に入れるために、必要な回り道をしてきたのだと思う。
 そして同じ所にまで、沢山の人に来て欲しいと思っている。
 自分一人の力じゃ足りないから力を合わせたい。一人じゃ寂しいから近くに来て欲しい。そういう我欲だ。
 中々自分でも認められなかったけれど、結局俺の根本にある願いはそんな青臭いもので、暑苦しいものだ。少年漫画に出てくるような、重度の中二病と診断されそうな理想が、根底に根付いている。
 それを信じられなくてひたすらに屁理屈をこねくり回して捻くれまくってきたけれど、その途上で幾らでも否定出来る要素は見つけてきたけれど、最終的にそんな青臭さを捨てきれないのが、俺という人間なのだと思う。

 だがいざそこに足を踏み出そうとすると、妬みの沼から引きずり込もうとする腕が足を掴んでくる。

「強くなろう」
「その為に沢山考えよう。悩もう。他人を知ろう。自分を知ろう。」
「他人を責めるのではなくて、自分に何が出来るかで考えよう」
「自分の中の情熱でパイを増やせる人になろう」
「自分の人生に意味を見出そう。後世のために何を成すのか継なぐのかを決めよう」

 俺が言いたいのは、そんな青臭くて熱血っぽい言葉だ。
 だけど

「今こんなに苦しいのにまだ頑張れって言うのか」
「頑張りが足らないというのか」
「それはお前が持つものだから言える事だろう」
「何も知らない癖に」
「分かるはずがない」
「お前と私は違う」
「違うというなら、俺を救ってくれよ」
「置いていくな」
「惨めになる」
「ズルい。私だってそんな人生を歩みたかった」
「俺には出来ない。出来るなんて言うな。やめろ。可能性を見せるな。そんなの信じない。信じて堪るか。もし本当にそんな未来が俺にもあったのなら、あったのに選ばなかった俺のせいだったのなら、そんなのあんまりじゃないか。だから、そうだろ? 俺のせいじゃない。俺は悪く無い。精一杯耐えてきた。なのに助けてくれなかったあいつが悪い。社会が悪い。俺は悪く無い。こんな現在があるのはあいつらのせいで、俺にはこうするしかなかったんだ。」
「だから、そんな可能性を見せるな」
「お前には無理なんだ。どうせ失敗する。無駄な足掻きだ。」

 そんな怨嗟の声が、逆恨みが常にねっとりと身体を掴んで離さない。
 きっとそういうアンチが湧くに違いない。
 だって他でも無い、俺自身がそう自分を呪っているのだから。

 突き詰めると、これまでの回り道はこの怨嗟の声を振り切るために必要な回り道だったのだろう。
 色んな反論は揃えてきた。

「あなたが必死に生き抜いてきたこと自体を疑うつもりはない」
「そういう選択肢が見えなかったこれまでは、間違いなく必死に、出来る事をやってきたのだと思う。でも今知れた。過去は変えられなくてもこれからの選択は広がるんじゃないかな」
「受け止めきれない。疲れた。そこまでするのは馬鹿らしい。なんとなく楽しい人生を送れればそれで良い。今より少し楽に生きられるならそれで良い。別にそれで良いと思う。俺が勝手に、そんな人生を支えられるような人間になろうと頑張るだけだ。」
「俺だって元々強い人間じゃない。恨み妬み承認欲求迷い挫折諦念、そういうドロッとしたものをこのnoteに書き綴ってきた。それが証拠だ」
「分からないけど、まぁ多少は並みより頭は良い方だと思う。でもそれは天才には程遠くて、半端者故の苦悩もあった。何より頭が良いからここまで来たんじゃない。ただそれだけのことを30余年考え続けてきたから辿り着いただけだ。それこそまともに働く自立した生活を送れないくらいに」
「別に無理強いしたい訳じゃない。苦しみを軽減する方法は他にもある。それでも生きる意味を考えずにはいられない人に対する別の手段として示したいだけなんだ」
「辛いなら見なきゃいい。もしいつか必要に思えてくるまで、ブロックしてしまっても全然良い」

 色々考えた。沢山考えた。あの手この手で答えた。
 でも、やっぱり違うんだ。理屈じゃない。だって俺の中のソイツにはそもそも聞く耳が無い。言語道断問答無用で、自分を責める可能性に怯え噛みつかずにはいられない。

「そんな他人の足を引っ張る奴なんて無視したらいいんだよ。どうせアンチコメなんてミュートになる」

 そう、切って捨ててしまうのも、言うは易い。
 でも、本当にそれで良いのかと思ってしまう。至らない奴だと切って捨ててこられた俺が、またそれを他人にするのかと足が竦んでしまう。
 それを優しさだなんて驕る気はない。俺を否定してきた奴らと同じになりたくないだけの私欲だ。
 でもどれだけ考えたところで、言い訳が増えていくだけで。俺には全てを救うことは出来なくて。識れば識るほど自分一人に出来る事には限りがあると思い知るほど識らない世界が世界が広がっていって。
 どんな行為にも裏表がある。利のある人も居れば害になる人も居る。例外は無い。皆にとって有益な方法なんて無くて、取れる手段にも尽くせる手も限られていて。きっと俺が力を得ていくにつれて、指数関数的に出来ない事の方が増えて引き離されていくことが想像に難く無くて。どれだけ考えたって出来ないことに出来る事が追い付く事なんて一生無くて。

 だから俺は、手を伸ばす人を選ばなければならない。選ばれない人を、選ばなければならない。その人の訴えを、否定を批判を懇願を嘲りを恨みを弱さを、却下しなければならない。せざるを得ない。
 そんな結論は始めから分かっていた。でもその力不足を受け入れるために、数多の言い訳が必要だった。「ここまで頑張ったけどやっぱり限界があったんだ。だから諦める事を許してくれ」と泣きつくに足るだけの苦悩を必要とした。諦めがつくまで、諦めきれずとも膝を屈するまで、万策を尽くす過程が必要だった。
 結果が見えていても、万策尽きるまで悩み試さないと諦めきれないのが、俺という人間なのだろうと思う。

「全てにおいて正しく、優しくあることは出来ない」
 そんな当たり前のことに屈服するまでの寄り道も、そろそろ終わりが見えてきたんだと思う。
 まだ怨嗟の声が、妄念がついて回っているけれど、少しずつ弱くなってきている気がする。
 諦めるつもりはない。少しでも手が伸ばせるようになるために、今は出来る限りのことをやって力をつける。
 どれだけ考えてもやっぱり効率的な答えなんて無くて、無様に泥臭く悪戦苦闘しながら、沢山の罪悪感と自己嫌悪を背負いながら、進んでいくしかない。
 あぁ、そうなんだろうな。
 俺は手を取れなかった誰かへのせめてもの償いとして、自己嫌悪を言い訳にする人間なのだろう。それで良い。なんとも思わず路傍の石を蹴飛ばす人間になるよりかは余程良い。偽善であろうが何だろうが、いつかその無力さへの自己嫌悪を新たな力への渇望とする為に、俺は俺を嫌いなまま生きていこう。「自分が正しいのだから、そこに至らない相手は否定されるのは当たり前のことだ」なんて通り過ぎる人間になるのだけは、死んでも嫌だ。淡泊に容赦なく切り捨てようとも、そこに無力さと罪悪感を忘れない人間で居たいのだ。無力な俺を許してくれなんて許しを乞うのは恥ずべき傲慢なのだろうけど、それでもそう許しを乞うて、自己嫌悪の十字架を背負う人間で居たいのだ。
 言葉にしてしまうと嘘くさくなるけど、でも俺は自分自身のために、そういう人間で居たいのだ。それを捨てたくないのだ。


 分からないからと、切り捨て拒絶する人間になりたくない。
 その為には寛容さと優しさが必要で、その為には強さが必要だ。
 だから俺は強くなりたい。力を求める為、己を一本化させた。
 そしてそんな善性は、きっと俺だけじゃない。誰もが本来持っていたはずのものだ。それを純化し、伸ばすことが出来れば、人の精神もまた一歩進めるはずだ。
 そんな風な事を俺は信じたいのだ。
 誰でもない、自分自身のために。

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