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親の期待は、幻想だった

「何者かにならなければいけない」

20代まではそう思ってた。


子どもの頃から

いろんなことやらせてもらって

ああでこうで

こうなんだから

「私は、何者かにならなければいけない」

「何者にもなれなかったら

お母さんががっかりする」



いや、生きてるだけで

大丈夫だよ。



そう思えたのは

いつ頃からだろう。



親っていろいろ期待してくる。

勝手にいろいろ、心配して先回りして

自分の理想を押し付けてくる。

でもって

親の理想通りにならないと、

イライラをぶつけてくる。


でもね


生きてるだけで

充分なんだよ。



意外とね。



その「期待」

親も実は

「期待してない」から。

無自覚なのよ

だいたいね。



無自覚で

無鉄砲な

期待を裏切っても普通に

明日も明後日も

「親」だから。


ってことに気がついたのは

いつ頃だったんだろうなあ。



子どもの頃は

つまんなかった。

「どうやったらこんなにいい子に育つの?」と

周りが親に聞くくらい

「いい子」だった。


大人が期待していることを

先回りして行動して

期待以上のことをして褒められて

どんどんハードルが上がっていった。


「大人の期待に応える」

のは

テクニックだと思ってたから

どんどん自分と

「褒められるジブン」

とに乖離が生まれて

これからの人生に

絶望しかなかった。


行き止まり。


でも

大学卒業まで敷かれたレールの

その先に何があるのか

そもそも、

そんなレールは存在するのか

壊してみたらどうなるのか

知りたくて

高校は不登校。


そうしたら親は

「もう、あの子はしょうがないか」と

諦めてくれて

「死ななきゃいい」

「楽しそうならいい」

「好きなことしていればいい」

ハードルが下がった。


子どもは、10才までは親のために生きるという。


私も、今は親。


我が子が

私のために生きないように

気をつけてはいるけど

たぶん・・・



「何者にもならなくていい」

「偉くならなくていい」

「名を残さなくていい」



「何者かにならなくてはいけない」


という呪縛の反動で今、

私はなにものでもない。



でも


誰にも代われない自分になってる。

そんな自信は、あるのだ。

ふふふ。







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