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俺にとっての阿左田哲也。行啓通りの遠藤さん。(其の壱)

俺は現在網走管内で家族と暮らしているが十数年前息子が生まれ2歳ぐらいになるまでは札幌中央区で生活をしてた。

ちょいと歩けば24時間営業のサンドイッチ店「サンドリア」やラーメン屋で言えば「五丈原」「えびそば一幻」。そして稲穂の代紋が有名な某組織の事務所がすぐ側のマンション7階で暮していた。びっくりしたのはその某組織の中堅さんが俺が立ちんぼストリート(青線エリア)でホルモン屋を開業した時にひょんな事から常連さんになってくれて様々なエピソードを繰り広げたりするのだがそれは今後のネタとして温存しとく。

話がずれたが「サンドリア」はよくよく利用した記憶がある。独特の手作り感があるのでコンビニのパンや弁当を買うより満足度が高かったからだ。

その「サンドリア」が札幌のニュースに取り上げられるほど人気店だと言う。(令和3年10月1日)に新店舗をオープンしてるっとこに洒落っ気のある経営者だなぁと感じてしまった。

令和3年(サン)

10月(ド)

1日(イチ)

全て合わせるとサンドイッチのロゴが完成する。

たいしたもんだぜ。

頭の良いヤツは広告費なんて少なくても相手に十分インパクトを与えちまってるって事だよ。センスの無い経営者はどいつもこいつも見習えよ。

サンドイッチと言えば「サンドイッチ伯爵がカードゲームをしてる時に簡単に食べれるよう、パンに具材をはさんだ物を作らせた」って話が有名だ。

サンドイッチ伯爵が夢中になってプレイするぐらいなんだから博打だったんだろうね。まあ古今東西賭博が行われてる場所に食べ物ってのは切っても切れない立ち位置であり極上オプションの一つだったりもする。

場外馬券センターで啜るかけそば。

裏カジノで用意されてるタバコと食い物。

チンチロのピンゾロを模した鉄火巻き。

言い出したらキリがない。

そんな賭け事の場と食べ物のエピソードの中でも俺が読んだ本の1冊で妙に覚えている話がある。

色川武大こと「雀聖」阿佐田哲也。ご存知の方も多いと思うが知らない人の為にも説明すると「麻雀放浪記」の作者であり漫画「哲也-雀聖と呼ばれた男」の主人公「坊や哲」でもある。

そんな「雀聖」との出会いと別れを綴った一冊。

「いねむり先生」伊集院静 著

掻い摘んで内容を話すと夏目雅子と不倫の果て結婚した伊集院静。が、彼女は白血病によってこの世を去ってしまう。

彼はショックのあまり自暴自棄の生活をしばらく過ごすが友人でもある漫画家「黒鉄ヒロシ」の紹介で色川武大と縁を持つ。

色川武大が放つ強烈な魅力と人間性。

また彼から漂う優しさと包容力。

いつしか伊集院静は夏目雅子死後彼自身かたくなに閉ざしていた心の中の黒くドロドロした物を一枚づつ剥がしていき人間らしさを取り戻していく。

そう色川武大と出会い過ごした時間こそが彼自身のリペアタイムであった。

「絶望からの再生」本の帯文だ。俺はここに惹かれた。

俺にも強烈な別れがあって見るもの全ての景色が「灰色」でドラッグ無縁の頭の中でハッキリと俺に対する罵詈雑言が聞こえてた時期があるからこの本の作者の気持ちには共感できた。またそんな時期に見つけた1冊だから思い入れも強かった。

そんな本の中の1ページに書かれている。

話は黒鉄ヒロシが伊集院静に色川武大と麻雀をしてた時の出来事を話している場面だった。

黒鉄ヒロシと色川武大。他二人の男。計四人。

麻雀を四人で打っているとほどなくして突然「ナルコ」を発症してしまう色川武大。三人は困ってしまうが「雀聖」と謳われる男だ。しばらくはお預け状態になるが夜食で用意したサンドイッチを食べつつも他の二人が痺れを切らせつつある。

仕方ない。そう思った黒鉄ヒロシは耳元で名前を呼んだ。

しかし作家「色川武大」で呼んでも全然起きなかったらしい。

状況から想像するにこうだろう。

「先生!色川先生!起きて下さい!」

全然起きない。微動だにしない。

ならば鉄火の場に身を投じた自分の分身「阿佐田哲也」の名ならどうだ?

「阿佐田!阿佐田哲也!哲也!坊や哲!お前の番だ!起きやがれ!」

(そしたらガバっと目を覚まして俺たち三人の顔を見てだな。三人でサンドイッチ食べてたから自分の分のサンドイッチ喰い始めた。)

(それを見て俺は言ったんだ。「喰ってる場合じゃなくて、あなたが牌を切るんですよ」ってね。)

(そこで目の前を見て麻雀の最中だと気付いて、そしたらまた考え始めた。)

(「そうじゃなくて切るんですよ」って言ったんだ。)

(そしたら、いきなりサンドイッチ切りやがった。)

面白くも可愛いよな。

こんなボケを本気でやっちまうから皆から愛されたんだろうな。

色川武大は「ナルコレプシー」を患っていたので突然寝てしまう。ましてや何時目覚めるのかも分らない。これで締め切りを数本抱えた売れっ子作家でもある。編集担当は生きた心地がしなかったろうね。だって目を開けたまま「グーーー」ってイビキかいちゃってるんだから。

まあ伊集院静にも色川武大(阿佐田哲也)って自分が恩師師匠って思える人との出会いがあったように俺にもそんな人が一人いた。以前アメブロでも書いた事があったが、あん時は「E藤」さんと記した。

ここではしっかり記す。「遠藤」さんだ。

俺が20代前半の頃一番最初に弟子入りしたバーで下積みを過ごしていた時期に出会ったギャンブラーだ。俺が当時住んでいたのは冒頭に書いたエリアからもう少し先の札幌中央区の「幌平橋」ってとこだ。そこから少し歩くと今はもうとっくに無くなってるが「モスバーガー」があって隣向こう側には「北洋銀行」路面電車が走っている中央斜線向こう側には仕出し屋があった。

さらにその仕出し屋の向かい側に「行啓会館」って名のパチンコ屋があった。今ではマンションに建替えられたが、この「行啓会館」で俺は「ジグマ」のような真似事をしてた。初代アラジンがまだ稼動してた時期だ。

今と違って遊戯層も結構年齢が上だった様な気もするし、見慣れた顔のオッサンやオバちゃんも沢山いたし、完璧なヒモをやりながらジグマをしている立川談志みたいなおっちゃんもいた。最後は女に捨てられてたけどな。

店員は「パンチ」「アイパー」がざらだったし、腰からぶら下げてる台鍵をジャラジャラ片手で振り回しながらシマを巡回してるのが当たり前。

ましてや女性店員なんていても50代後半ぐらいでやたらと目つきがキツく愛想もほぼ無い。

そんなパチンコ屋だったが地元の住民に愛されていたせいもあってか夕方近くに台を離れた後にバシっと決めた格好で自分の打っていた台を確認しに来たオバちゃん客が実は近所で営業しているスナックのママだったり、いつもは派手な格好しているおっさん客が作業着姿でシマに現れ明日明後日の二日間バイトしねーか?とか聞いてきて実は少し離れたとこで看板掲げている美装屋の社長さんだったりとかね。近所の人達の憩いの場って雰囲気が強く居心地の良さが売りだった。

ただし

たまにこのパチンコ屋のオーナーにダウン症のガキがいてコイツが棒付きキャンディーを片手に握り締め「ウヒャー!アヒャー!」と奇声を発しながら店内を走り回った挙句いきなり打ってる客の口元そばに「ヌ」っとそのキャンディーを差し出してくるのには見ているこっちも参った。

あれはパチンコ屋で可愛い女の子スタッフがあめちゃんをサービスで配りにくる今時の話よりかなり昔の話だからな。もしかしたらあのガキがあめちゃんサービスの元祖だったのかもな。全く笑える話だぜ。

話を戻す。

ある日見慣れない男がタバコパイプにこれまたパーラメントロングを挿して「パーラメント・スーパー・スーパー・ロング」にした物を口に咥えながら何か考え事をしている様にフィーバー台を打っていた。

推定年齢30代前後・ソフトパンチ・色黒・二重・長身小太り・黒のレザーコート・黒のフレアパンツ・黒の革靴・黒のタートルネック。何から何まで黒尽くしである。

この人が俺に命のやり取りまでが担保に発展する「代打ち・ダイブチ」の存在を教えてくれこの人が「優しさ故に命を散す」最後を迎える事になるとは出会った当初の俺は想像だにしていなかった。

「行啓通りの遠藤さん」

冒頭画像の阿佐田哲也みたいな人だった。

この話の続きは次12月前半までには書く予定。

それまであばよ。

























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