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母が会いたいひと

「今日は調子が悪いから行きたくない」と重たそうな表情で母がいう。夜中に戻してしまったという。そうか、そしたら仕方ないね。無理しない方がいい、ということで、今日はデイサービスをお休みした。
 こういう日は結構ある。本人の様子をみてお休みするのだが、たいてい行かないと部屋でひとり、過去のいやな思い出をほじくりだしてきて、暗ーくなり、かえって体調が悪くなることが最近わかってきた。
 しかし、今日に限っては休んだ方がよかったみたいで、午前中はずっと横になっていた。食欲もないみたいで、なにも食べないので、せめて水分だけはとるようにと、母の部屋を訪ねては、お茶をいれる。
 母の部屋は私の部屋の3階下で、同じマンションなので、とても便利だ。
 この環境を手にいれるまでには、一波瀾も二波瀾もあった。
 最初、私の仕事部屋の近くのサ高住にはいってもらった。そこが終の棲家になるだろうと、勿論覚悟もしていたし、本人にも納得してもらって、始めは喜んで暮らしていた。小綺麗なところだし、ご飯も作らなくてもいいし、カラオケや麻雀など親切な入居者とも適当に仲良くなり、誘われたりして暮らしていた。
 ところが、3カ月くらいたったころから、「ここ、一月になんぼかかるの?」「こんなとこ、わたしには贅沢や」「身分不相応や」「なんもしてもらうことないのに、一日一回の安否確認だけで何万も取られてもったいない」とかうるさく言うようになった。そして、暴言を吐いた姉の夫のことをののしり、あの事があったから、私は冷静な判断もできず、こんな所に来ることになった。と言い出した。つまり、すべては人のせい。毎日、母が電話口で泣きわめくので、母をひとりにしておけないと思って、仲違いしてる姉夫婦にも何かあっても頼れないと思って私の近くにきてもらったが、すべては今となっては後悔してるらしい。いつもそうだ。母は、あの時こうしておけばよかったとか、あのひとがこういったからとか、「たら」、「のに」の名人だ。
 母のいうことを一々真面目に受け止めていたら、精神的にやられてしまう。私は人に迷惑かけるのが一番いやだ、といいながら、「私が来たために、あんたがいそがしなった」とか「いつまで生きんねやろ」とか、「憎まれもの世にはばかる」いうけど、自分がはよ片付きたいとか、ことあるごとに言われ、そのたびに、「そんなことないよ」とか、「私の楽しみやから」とか、一生懸命おだてたり、慰めたりしてたら、疲れてくる。もう、だまって普通にしてくれたらいいのに、面倒くさい。
私には、反抗期がなかった。反抗できるような家ではなかった。母は、自分の思いどおりにならなかったら、泣いて私を責めた。親不孝ものとののしった。父もとても短い鎖に繋がれた犬のような人生だったように思う。世間的には「いいお母さんやね」と誰もがいった。でも、私には、いつも言葉にならない違和感だけがあった。母が重かった。そして、今も重い。
私の苦しみは言葉にできず、母に投げ掛けることもできないまま、母は認知症になって、元々の性格は変わらないから、私はもって行き場のない思いを胸の奥に抱いたまま、母のご機嫌とりをしている。胸が時々苦しくなる。ときどき、これを飲み込んだら死んでしまうという玉のようなものを飲み込んでしまう夢を見て、「ああ、どうしよう、飲み込んでしまった」という焦燥にかられて、叫んでしまうことがある。それが母のことなのか、夫のことなのか、子供のことなのか、わからない。ただ、私はなんらかの精神的な疾患をもっているのではないかと思うときがある。
 母が日々の薬の記憶や便通があったかどうかなどをマルして、記入してもらうノートに、家を勝手に売られたと私を責めるような書き込みをしていた。そして高校時代に告白されたボーイフレンドの名前を書いて、いい友達、会いたいと書いてあった。


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