「子ども脱被ばく裁判」結審 報告レポート
被ばくのリスクについて正面から問う数少ない訴訟「子ども脱被ばく裁判」が7月28日、結審を迎えた。2014年8月29日に福島地方裁判所へ提訴してから6年——。
コロナ禍で傍聴や集会の人数も限られるなか、原告・支援者合わせて約50人が結審にかけつけた。
この「子ども脱被ばく裁判」(国賠訴訟:158人/行政訴訟;14人)は、ひとりあたり10万円の慰謝料を求めるという金額としてはささやかな裁判だ。しかし、体内に入ると排出されにくい〝不溶性放射性微粒子〟の環境中での存在を初めて明らかにしたほか、福島県立医大の鈴木眞一氏や、山下俊一氏をの尋問を実現させ、重要な証言を引き出すなど、今後の原発訴訟にも大きな影響を与える裁判になった。
公判は終盤に近づくほど盛り上がり、その〝熱さ〟は、弁護団が用意した400頁にも及ぶ最終準備書面の〝厚さ〟にも表れていたように思う。
この日の最終期日では、原告代表の今野寿美雄さんが最終意見陳述書を蕩々と読み上げ、弁護団が約30分間、最終陳述を行った。
終了後に行われた報告集会では、弁護団ひとり一人から最終準備書面でとくに訴えたかったポイントが述べられた。この内容には、福島で生活する人たち、避難した人たち、そして原発を抱える日本で暮らすすべての人たちにとって大切な内容が凝縮されている。ここに簡単ではあるが要点をまとめておきたい。
■安全な環境で教育を受ける権利を損なわれ続けている子どもたち
<井戸弁護士>
最終準備書面で私が関与した点は次の2点です。ひとつは、憲法や法律で保障されている「子どもの教育を受ける権利」について。
憲法第26条では、「教育を受ける権利」が保障されており、国や地方公共団体には、義務教育を保障する義務があります。当然、この中には「安全な環境で義務教育を受ける機会」が保障されているわけです。この権利を受けて、「教育基本法」や「学校教育法」、「学校保健安全法」などの法律で、学校における子どもたちの安全確保を義務付け、その基準を示す「学校環境衛生基準」が定められています。この学校環境衛生基準では、大気中のさまざまな有害物質について厳しい濃度規制がされています。
現場の方に聞くと、年に2回ほど教育委員会の方が調査に来て、基準を超えていると厳しく指導されるそうです。これは非常にいい制度だと思うのですが、問題は、学校環境衛生基準には、放射性物質の基準が含まれていないことです。なぜ含まれていないかというと、おそらく放射性物質が環境中に放出されるということを予測していなかったからだと思います。そもそも、環境基本法でも放射性物質は規制対象になっていなかった。環境下に放射性物質が広がるなんて想定していなかったからでしょう。原子力基本法の範囲内では規制するが、一般的な環境規制はしていなかったわけです。
しかし、福島原発事故を踏まえて環境基本法の規制物質に放射性物質が組み込まれました。放射性物質が環境基本法の規制物質に入ったのだから、放射性物質についての環境基準を決めなければならない。環境基準というのは行政の目標ですから、行政としては、この基準を満たすように指導しなければいけない。しかし、その基準自体がいまだ作られていないのです。放射性物質についての環境基準が作られていないから、放射性物質についての学校環境衛生基準も作られていません。要するに、本来あるべきものがない。行政としては法律の趣旨に従って、放射性物質についての学校環境衛生基準を想定して、それに基づいて子どもたちを守らねばならないはずでした。
■環境基準にあてはめると年間2.9マイクロシーベルトの追加被ばく
では、そのあるべき放射性物質の学校環境衛生基準は、どれくらいのレベルなのか。試算しました。そもそも環境基準の考え方として、〝しきい値〟のない物質については、「10のマイナス5乗の生涯リスクレベル」という考え方が定められています。生涯、その物質にさらされたとして10万人にひとり健康影響が出るというレベルです。築地市場を豊洲に移転する際に、豊洲の地下水にベンゼンが環境基準の10〜100倍含まれているということで大問題になりましたが、あの基準というのは、ベンゼンが含まれている地下水を70年間毎日1〜2ℓ飲んで、10万人にひとりに健康影響が生じるというレベルです。非常に厳しく定められています。これは国際基準です。WHOでも、諸外国でも同じなのです。
ということから考えると、放射性物質の基準も、少なくともその放射性物質に70年間さらされて、10万人にひとり健康被害が出るというくらいのレベルで定められなければならないはずです。ICRPは、1㍉シーベルト追加被ばくすれば10万人に0.5人が〝ガン死〟のリスクがあると言っています。これを生涯線量に換算すると、200マイクロシーベルト。年換算すると、わずか年2.9マイクロシーベルト追加被ばくすると、10万人にひとりガン死リスクがあることになります。
おそらく日本中どこに行っても、追加被ばく線量年間2.9マイクロシーベルト以下なんて場所はないでしょう。実現できないのは、まさに福島原発事故が起きたからであり、過去の核実験の影響もあるかもしれません。しかし本来そういうレベルで子どもたちを守らなければいけないのだ、と。そういうことを行政訴訟の大きな根拠としました。
■大人の基準を子どもにあてはめ安定ヨウ素剤の投与基準を下げなかった山下氏
もうひとつは、安定ヨウ素剤の投与指標です。
福島原発事故前、安定ヨウ素剤を投与する指標は、小児甲状腺等価線量100㍉シーベルトと決められていました。つまり、1歳児が生活している環境で、甲状腺への線量が100㍉シーベルトと予想される場合には、ヨウ素剤を飲まさなければいけない、そう定められていたのです。
ところが、国際的にはもっと低かった。WHOが1999年に、大人は100㍉シーベルトでよいが子どもは10㍉シーベルトが望ましいとガイドラインを出しました。子どもは大人よりも、放射線に対する感受性が高いためです。国際的には、それに従って下げる動きが強くなっていた。ベルギーは、10㍉シーベルトに。アメリカ、ドイツ、オーストラリアは50㍉シーベルトに下げました。大人は100㍉シーベルトのままだが、子どもの数値は切り下げたのです。
日本でも、かつての原子力安全委員会のなかに原子力施設防災専門部会というのがあって、そこにヨウ素剤検討会を起ち上げ、議論がなされました。その座長が山下俊一氏(現:福島県立医科大学特命教授兼放射線医学県民健康管理センター長)でした。2001年から2002年にかけて検討会が開かれ議論されましたが、結果的には子どもに関しても切り下げないでいいんだ、という結論を出した。大人も子どもも100㍉シーベルトのままということです。原子力安全委員会はそれを採用し、福島原発事故のときまで通用していたのです。
その委員会でどういう議論がされていたかというと、山下氏は、現場が大混乱するので大人と子どもの基準を分けるべきではないという考えでした。ただし、子どもについての基準を大人にも採用すべきだと言っているのです。弱いモノの基準を大人に適応しろと。
それはもっともだと思います。にもかかわらず、なぜ100㍉シーベルトのままになったのか。なぜ、諸外国とは異なる数値を採用したのか。詳細に議事録を読んでいくと、とんでもないことがわかりました。
WHOも諸外国も、ヨウ素剤を飲むことでのリスク&ベネフィットを考慮し、値を決定しています。つまり、ヨウ素剤を飲むことで甲状腺がんになることを回避できる〝ベネフィット〟と、ヨウ素剤を飲むことで副作用が起きる〝リスク〟。このバランスをとるという考え方です。
WHOも山下氏もベネフィットについては、ほぼ同じ数値を採用しています。違ったのは、リスクに対する考え方。WHOが採用したリスクに対する数値は、1000万分の1です。根拠は、チェルノブイリ原発事故のあと、ポーランドが1000万人の子どもにヨウ素剤を服用させ、副作用がひとりもでず、かつ小児甲状腺がんもひとりとして発症しませんでした。ですからWHOはヨウ素剤副作用のリスクを、1000万分の1と評価した。ところが山下氏が座長を務めていたヨウ素剤検討委員会で採用したリスク評価は、1万分の6でした。この数値はどこからきたかというと、ポーランドでヨウ素剤を服用した成人の、軽度〜中程度の副作用のリスクが1万分の6だと報告されている。山下氏はこの数字を持ってきて、結局、100㍉シーベルトでいいという結論を出したのです。
最初は、子どもの基準を大人にも当てはめないといけないと言っておきながら、実際のところは大人の基準を子どもに当てはめて、甲状腺等価線量100シーベルトをヨウ素剤服用の基準として維持したのです。(現在は50ミリシーベルトに変更)
結局、そういう状態で福島原発事故を迎えてしまった。行政には、服用基準を決める裁量の幅はありますが、その幅を超えてもうインチキだと。これは違法であるという主張をしています。
■リスク評価についてのおかしさ
〈柳原弁護士〉
今年2月に、子ども脱被ばく裁判を担当している福島地裁の3人の裁判官が、ほかの原発訴訟の判決を出しました。その判決内容を、今回、最終準備書面を書くにあたって改めて検証したところ、2011年12月に政府が出した「低線量被ばくのワーキンググループ」の報告書の中身を、ほとんどコピペするような形で判決理由にしていたのです。そこで私たちは慌てて、「これを潰さないと同じような判決内容にされ、私たちの主張が認められない」と思い、改めて報告書の中身を徹底検証しました。その問題点を、最終準備書面で指摘しました。
たとえば、報告書の中では、放射線被ばくのリスク評価をタバコや飲酒と比較してどれくらいかと論じている。こうした比較の仕方自体がおかしい、と改めて指摘した。
■SPEEDIの情報を隠蔽したことは殺人的な行為
〈古川弁護士〉
私は、この裁判ではSPEEDIのことを担当してきました。行政がSPEEDIの情報を隠蔽したことの違法性は、本日の最終準備書面でも述べましたが、まさに浪江町民の話が現実を語っていると思います。彼らはSPEEDIの情報を知らされなかったために、放射線が非常に高い津島地区に3日間も滞在してしまった。子どもたちはその間、校庭で無防備な状態で遊んでいたのです。「このことは殺人的な行為であろう」と、浪江町の関係者は述べています。命は助かっているが、ものすごく被ばくをしてしまった。
原告の陳述書を読みかえすと約50人中30人くらいが、な嚢胞ができたとか口内炎のような症状が出たとか、なんらかの体調の異変を訴えていました。福島市内の方で、事故直後に外で腕まくりをして仕事をしていたら肌が赤くなったという方もいた。広島・長崎の被爆者の方々からも同じような話を聞きましたので、これらは被ばくによって、肌や粘膜がやられてしまったことによる症状だと考えられます。いわゆる〝鼻血問題〟もすごく騒がれましたが、これも同じ症状を訴えておられたかたはたくさんいた。権力者側にとって都合の悪いことだから、あれほど火消しに躍起になったのだろうと思います。
■20ミリシーベルト適用に対する国際批判に正面から向き合う
〈田辺弁護士〉
最終準備書面には、国際人権条約のことを書きました。日本の20ミリシーベルト政策は、海外からはものすごく批判されています。一度や二度ではなく、三度も四度も批判を浴びている。
国際人権規約のなかには、社会権規約というのがあり、健康への権利を認めています。年間被ばく20ミリシーベルトというのは、この健康への権利を侵害していると国際社会は警鐘を鳴らしています。しかし、私たち弁護士は、こうした国際社会の警鐘をきちんと拾い上げてこなかった。なぜかというと、国際人権条約というのは、各国政府の努力目標であって、国内では権利を主張する根拠にならないんだという思い込みがあるからです。
しかし、人権条約機構のオフィシャルな解釈では、社会権規約は条約を結んだ各国に解釈権限があるとしながらも、それが守られているかどうかは国内の司法が審査していかねばならないと示しています。裁判官には、諸外国からおかしいと指摘されていることについて、正当な判断を下してほしいと思っています。
■原発事故後に放射能測定しなかった責任
〈光前弁護士〉
この事件でいちばん大きな問題というのは、原発事故が起きたあとに、どれくらいの放射能が流出したのかということを、きちんと測らなかったということ。これがいちばんの問題で、測っていれば子どもたちがどれくらい内部被ばくしたかということが実測できたのです。実測していないから、すべて推測でやってきた。その推測の方法が、どうしてもバイアスがかかってくるので、そこが問題になってきます。
福島県立医科大学の鈴木眞一氏の発言を経年的に追っていると、福島県民健康調査を始める際に、甲状腺がんの子どもがこんなに出るなんて推測していなかったことがうかがえます。福島県民に安心を与えるため、チェルノブイリ原発事故のように甲状腺がんが発生しないということを明らかにするため。つまり、福島原発事故はたいした事故ではないんだということを証明するための検査なんだと書いているんです。
ところが、検査を重ねるごとに患者が増えた。それにともない、彼の発言内容もどんどん変わっています。ようするに、最初の一歩を間違えたのに、気づいても絶対に正さないというのが、この国の在り方です。それを象徴しているのが、安倍首相のマスク。あの小さなマスク、絶対に変えないですよね。自分が間違ったと思ったら、申し訳なかったと言って改めたらいいのにそれをしない。修正しないまま進んで、どんどん深みにはまっている。国民との間の意識のずれが、大きくなっています。コロナの問題と被ばくの問題は非常に似ていて、今後政府がどういうふうに情報公開して、リスクコミュニケーションを行い、どんな政策を出してくるかという点を、きちんと見ていかないといけないと思っています。
■今後の被ばく裁判に大きな影響を与える〝不溶性放射性微粒子〟
この日の記者会見で、記者から「この裁判が今後の原発訴訟に与える影響」について問われた弁護団と原告は、改めて次のように意義を述べた。
「体内に入ると排出しにくい〝不溶性放射性微粒子〟の問題については先駆的な役割を果たせたと考えている。ほかの被ばくを訴える裁判でも影響を与えていくのではないか」(井戸弁護士)
「全国各地で避難者訴訟が起きているが、なぜ福島県から避難しているのかという根拠が〝不溶性放射性微粒子〟の存在によって明らかにできた。いままで、なぜ不安なのかということをうまく説明できなかったが、これが根拠になった」(原告団代表:今野氏)
また、原告の佐藤美香氏も、「どんな判決がでようとも、私は子どもを守っていきたい」とコメント。
同じく原告で福島大学准教授の荒木田岳氏も、「山下俊一氏や鈴木眞一氏の証人尋問が実現し、非常に重要な役割を担う裁判になった。行く末を見届けたい」と述べた。
判決は来年3月1日。福島地裁で言い渡される。