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基本的人権と日本の近代─シェイクスピアの混乱から星野源の「ばらばら」へ─(5)

9. 人類が迎えた2度目の地殻大変動

 さてさて、1600年を中心に動いた世界の知的地殻大変動の結果、近代という時代は生まれたわけですが、ここで少しおさらいをしておきましょう。

 1600年を中心に世界に対する人間の認識は大きく変わってきました。宗教的な時代は終わり、世界を人間の間尺に合わせて理解する時代が始まります。人はキリスト教的社会有機体から離れ、個人となり、いくつかの大きな政治的変動を経て、王権神授説により絶対的な存在であった国王の権勢は議会により縮小され、人は近代的な個人という意識を持ち始め、徐々に民主主義が確立していきました。OEDのconstitution 7.の意味が確立し始めたのもこの時期でした。

 また人は自然を数学的に読み解き、様々な法則を発見し始め、次第に「近代」科学が形成され始めます。人は自然を利用し始め、様々な産業が興り、18世紀の産業革命を経て、経済的には資本主義が世界に広がり始めます。経済的には資本主義、政治的には民主主義が「近代化」の旗印となっていきます。

 2020年の現在もまだその延長線上にあるのですが、20世紀の後半あたりから、それまでの近代的世界を形作ってきた政治的枠組みが崩れ始めます。近代科学の粋を集めたはずの原子力発電所の大きな事故が起き始めます。そして21世紀に入ったとたん、アメリカで同時多発テロが起こり、戦争は20世紀とは異なった形で起こり続けています。

 日本に限定すれば、1990年代に入ってバブル経済の崩壊、1995年には阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件、2011年には東日本大震災に見舞われ、福島第一原子力発電所がメルトダウン(or メルトスルー)という史上最悪の事故を起こし、現在もまったくコントロールできていない状態が続いています。それ以後も豪雨や台風などの自然災害に見舞われ、今現在は世界的に広がっているCOVID-19により日本という国が危機的な状況に置かれています。

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 そしてここからは現在進行形のことなので、結構実感できるのではないかと思いますが、現在はCOVID-19をどう遠ざけるかという緊急の問題に立ち向かわなくてはならないと同時に、それはこれまで当たり前だと思ってきたことを根底から考え直す機会にもなっているのではないかと思います。

 つまり、1600年を中心に前後約150年かけて、世界に対する人間の認識、あるいは世界と人間との関係が大きく変わったように、現在は2000年を中心に前後約150年の間に、再び世界に対する人間の認識、あるいは世界と人間の関係を大きく根本的に見直し、変えざるを得ない状況に入っているのではないでしょうか。2020年の現在は、人類の知の地殻大変動、コペルニクス的転回第2弾の真っただ中にあると言ってもいいでしょう。ここまで見てきたことをおおざっぱに表にすると下のようにまとめられます。

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 「コロナ以後」という考え方が出てきているように、私たちはこれまで人間が作ってきた近代文明の曲がり角に来ていると考えて間違いないでしょう。これが私たちの現在地です。でも、焦らずに、ここから、もう一度、大きな歴史的流れの中で、現在の日本の状況と憲法をとらえ直していきたいと思います。

10. 明治維新は「日本の近代化」ではなかった!?

 先に見た世界史の流れに日本の歴史をつなげてみます。下の図のように、単純に年代順に出来事を並べていくと、西欧の流れを受けて、日本でも明治維新から近代化が進み始めて、敗戦を経由して現代の日本があるように思ってしまいます。明治維新から日本が西欧近代をモデルとして近代化を図ったことは確かです。しかし江戸時代まで鎖国をしていた日本に、西欧の近代発展史をそのまま接続し、1868年の明治維新から西欧と同等に歩んできたと考えることには無理があります。

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 明治維新のことは英語で何というでしょうか? 何となく明治維新から日本でも近代化が始まり、「脱亜入欧」をスローガンにアジアで最初の近代国家となったというようなイメージだけで考えると、Meiji Revolutionと言いそうな気がしますが(学生はよくそう答えます)、明治維新は、英語でMeiji Restorationと言います。”restoration”は「回復、復活」「復職、復位」という意味です。英語でRを大文字にしてRestorationと言った場合、普通は1660年の英国の「王政復古」を指しますから、Meiji Restorationと言った場合には「明治・王政復古」ということになるでしょうか。

 1660年の王政復古は、あの清教徒革命で敷かれた議会による共和制が終わり、チャールズ2世が亡命先のフランスから戻った時のことです。チャールズ2世も王権神授説に立つ国王で、即位当初は議会とも歩調を合わせていますが、最終的にはカトリックへの復興を図り議会と対立します。チャールズ2世の後は弟のジェームズ2世が即位します。ジェームズ2世も王権神授説に立つ国王で、カトリック復興を強引に推し進めようとして議会に阻止され、名誉革命へとつながっていきます。王権神授説という考え方もこの名誉革命で終焉を迎えたことは先に見たとおりです。

 つまりRestorationとは、清教徒革命により議会中心の共和制になったのが、再び王権神授説に基づく国王による国家統治に戻ったことを意味しています。近代憲法の根本に存在する人権意識が生まれるのはこのRestorationの時代が終わった後からであることを、私たちは今一度、確認しておきたいと思います。

 世界史的な観点からすると、明治維新=Meiji Restorationは人権意識が生まれる前の段階であるということになります。とするなら、私たちは1688-1789年という人権意識の形成にとって重要な100年を経て1868年の明治維新があり、その流れを汲んで1889年に大日本帝国憲法が生まれたのだと見るのではなく、Restorationの歴史的意味を踏まえて、1868年の明治維新は世界史的に見れば、1660年の王政復古と同列として考えるべきであり、そのように日本史を読み直すことで新たな視点を得られるのではないでしょうか。

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 このように考えていくと、大日本帝国憲法が公布された1889年当時、日本は西欧が体験した基本的人権を獲得していく100年をまだ経験していないことになります。本当にそのようなことが言えるのか確認するために、1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法のことを少し考えてみたいと思います。

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明治天皇

(文:水谷八也/編集:清田隆之)

( 6へつづく)