死因不明

持病もなく健康であった人が突然自宅で亡くなると、警察が介入することになるとは、この時初めて知った。自殺や他殺の疑いをはらすための捜査です、と彼の遺体は病院から警察へ引き取られ、私は自宅で事情聴取を受けた。彼が亡くなった事実を受け入れる間も無くそれは押し寄せてきて、私はなく暇も無かった。いや、涙が出なかった。おおよそ実際に起こっていることとは自覚できなかったのだと思う。

病院では彼の遺体をCTスキャンしてもらった。脳内出血なし、体内にも出血なし、よって死因は不明とされた。何らかの理由で心臓が停まってしまったわけだが、何で停まってしまったのかは、停まってしまった心臓からでは理由は探れないのだという。警察の検死と千葉大学病院による解剖の結果も同じく、死因は不明とされた。

でもこれは到底納得がいかない。持病もなく元気だった人が突然亡くなったのに、理由がないとはどういうことなのか。

身近な人が亡くなると、頭の中は”なぜ?”でいっぱいになる。なぜこんなことになったの?なぜ彼が死んでしまったの?そして、どうしたらこれを回避できたの?でも、なぜの答えがわからない限り、回避できたかどうかもわからない。残された家族にとって、これほど辛いものはない。

お通夜の当日、鹿児島に住む私のいとこが、弔問してくれた。一連の流れを説明した。そういえば中学生の時、不整脈の疑いで検査を受けたことがあるって言っていた、そんな話を伝えた時、”それだ。不整脈だね、死因”と言った。

彼は宮崎医大を出た医者で、現在は同じく医者である妻と共に心療内科を開業している。彼は、”不整脈には、危険だとわかっている不整脈とそうじゃない不整脈がある。いまだに解明されていない危険な不整脈もたくさんある。以前皇室の方が亡くなって、全国にAED設置が促されたけれど、今回の場合も同じく、AEDで処置しなければ何ともならなかったものだと思う。たまたま、トイレで不整脈が発生して、旦那さんの心臓が止まってしまった。事前に何かができたわけでもなく、防ぎようがない。誰も悪くない。何も悪くない。本当に残念だけど、不整脈によって心臓が止まってしまい、助からなかった。発見が早かったとしても、助かる見込みは無かったと思う。心停止して20分以内にAEDで心臓を再度動かすことができていない限り、無理だったと思う。不整脈による心停止の場合、本人は何の痛みを感じるわけじゃなく、一瞬で亡くなっている。苦しまずに旅立てただけよかったと思ったほうがいい。”と、淡々と語った。医学のプロである医者の言葉はすんなりと心に届いた。そうか、どうしようもなかったのか。事前に発見することも、事前に何か対策を練ることも、まして発見してからのことも、私が医者であったとしても、自宅にAEDがない限り、きっと彼を助けることはできなかったのであろう。推測できる死因、不整脈。対策、不可。これが明らかになっただけで、少し心の中のモヤモヤが軽くなった。

”伴侶を突然死で亡くして、私、これからどうしたらいいんだろう。どうやったら立ち直れる?”

”無理だね。無理無理、立ち直れないよ。立ち直ろうとしなくていい。もう、色々無理だから。頑張らないほうがいい。もし、寝れなくなったり、外に出かけられなくなったり、そういう症状が出たら心療内科を受診したほうがいい。とにかく今は、何も考えないほうがいい”

そっか。立ち直らなくっていいんだ。無理に頑張らなくていいんだ。それだけでちょっと肩の力が抜けた。

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