カフェラテとサポート
はじめて、サポートしていただいたお金を引き出して、つかってみた。
つかったのは、もちろん、カフェ。
本屋と複合している、行きつけのカフェだ。
カフェラテを注文したら、店員さんが、慎重に席まで運んできてくれた。
なみなみ淹れたカフェラテが、溢れそうだった。
小柄の女性の店員さんが「愛が溢れました」と言って、渡してくれた。
その返答に、笑いながら、ありがとう、と言って受け取った。
やっぱり、このカフェは落ち着くし、ここにいると、心地がいい。
サポートの説明欄にも書いているのだが、いただいたサポートは、ぼくにとってハートが喜ぶことに使わせてもらおう、と思っている。
心地のいいモノ、ことに、気持ちよく、お金をはらう。
それは、読んでくれて、ぼくにサポートをしてくれたひとたちへの、感謝にもつながる、と思っている。
そして、それは、サポートをするときも、同じだ。
何が同じなのか、というと、感謝の気持ちだ。
いい気づきや発見、感動した記事を、そのひとが書いてくれるからこそ、ぼくは読むことができるし、感じることができる。
いつも抱いている、感謝の気持ちを、ぼくができる範囲での、お金とメッセージを添えて、送る。
だから、文字数が許す限り「サポートさせてくれて、ありがとうございます」という言葉を添えている。
これは、ぼく個人の意見だが、感謝を忘れて、ただ、サポートしてやっている、という気持ちにならない為だ。
サポートするのは、ぼくの勝手だけれど、そこに、感謝がないと、いくら言葉で飾っても、綺麗事になってしまう。
綺麗事と綺麗なことは、違う。
だからこそ、ぼくは、サポートをするときは、最大限感謝をしている。
感謝は巡り巡る。
別に、見返りを求めているわけじゃない。
何度も言うが、ぼくが、サポートをしたいから、サポートをしているのだ。
けれど、こうやって、サポートをしてくれて、サポートできて、noteというプラットフォームは、いいな、と思う。
お金も大切だけれど、それ以上に、メッセージを添えられることが、ぼくは、好きだ。
なみなみ淹れられたカフェラテを、こぼさないように、丁寧に、口に運ぶ。
ふわっとしたコーヒーの苦味と、ミルクの甘みが口にひろがる。
ちなみに、ぼくは、真夏でもホットを頼む。
ホットが好きなのだ。
店員さんからは、こんなに暑いのに、よくホットを飲めますね、と言われるが、好きだから仕方がない。
サポートしていただいた方、記事を買っていただいた方、本当にありがとうございます。
とても、有意義で心地よいじかんを過ごせた。
ハートがあったかい。
また来よう。
ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。
ひだまりのようなサポートをありがとうございます😊いただいたお金はハートが喜ぶことにつかわせてもらいます。