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「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展 @弥生美術館 その1

今更感ありありとは重々承知之助ですが、銘仙が大好きな者としては記しとかなきゃ。

訪れたのは2023年12月。
本日4月。
既に4か月も経過。

それにもかかわらず、今でも3か月前のときめきと興奮が思い出される銘仙パワーはすごいです。

ここがその舞台、弥生美術館。
夫と行きましたが、中はほぼ女性でにぎわっておりました。

こぢんまりしている建物ですが、中は乙女の夢が詰まった空間でときめき度MAX。
ここがもし上野レベルの広さなら、興奮しすぎて召されてしまったかもしれません。

まずはこちら。

♥格子に蝶々尽くし文様単衣
♥伊勢崎

薄ピンク×ダイヤチェック×ババンッ!!と大きな蝶々。
染めの鮮やかな帯に、たっぷり刺繍の半襟。

これが昭和5~15年のものって信じられる?

このお着物を当時16歳だった少女が着ていたとして、それが昭和15年としても、今ご存命でも100歳近いってことです。

次、袴バージョン。

※もちろん、こちらのコーデは学習院関係ありません

乃木希典もビックリ、何と鮮やかな…これで学校行ったら楽しいだろうな。

銘仙が乙女心を鷲掴みするデザイン化するきっかけは学習院(当時は華族女学校)。

時の超お嬢様・お姫様が華やかで高価な友禅を着て登校していたのを乃木希典が「贅沢で好ましくない」と思った様で、明治38年(1905年)「登校の際に着るのは銘仙以下」と決めたのだそう。

矢絣の銘仙+海老茶の袴は女学生の定番となったそうだけど、おしゃれ心を封印なんてできない乙女たち×乙女心を掴むためにあれこれ工夫をこらした銘仙の生産地、で結果このように…

学習院女子がセーラー服を征服として採用したのは大正14年(1925年)なので、20年の間に地味銘仙が一気に華やか銘仙化していったのかもしれないな。

乃木希典が生地の種類だけでなく、色柄指定をもしていたら、ここまで発展しなかったかもしれません。

夏のお嬢様コーデ。

全体的に伊勢崎銘仙が多めだったけど、下のギンガムチェックにプリムラの柄は足利銘仙です。

現代、こういった柄があるとすればまず浴衣だと思うのですが、浴衣とはまた全然違う。

ガラス越しでも分かる。

こ、これくらい落ち着いていたら着ても大丈夫かしら・・・?

観賞中、完全に「愛でる対象」と「自分が着ても殴られないかもしれない現実的コーデ」とに瞬時に分けていました。

すみません…

全てが素敵過ぎて現実離れしている中、完全に脳がバグっていたとしか考えられません…

この、右の方の白鳥とか。

ワンチャンいけるんじゃないかと…色味が落ち着いているし…
湖畔の染めの帯に白鳥の帯留、なんて完成されたコーデなのでしょう

夏コーデでは一番のお気に入りで(着れるかもという期待も加味されてる)、割といつまでも眺めていました。

後ろ姿も見たかったな!!!!

ちょっと時代遡って、古典柄。

でも、これが古典柄って信じられる?

古典=つまらん柄、という思い込みをむしり取って燃焼レベルの、強烈な可愛さ&派手さ。

その1を締めくくるのは、乙女心をズキュン🚀バキュン🛸されたこちら。

🍎リンゴ音符に小鳥文様の伊勢崎銘仙🎵

なんとメルヘンな…

アンティーク着物って、ちょっと毒っぽかったりする色や柄が多々あるけれど、こちらは色といい柄といい、「可愛い」しかありません。

戦後のものだそうだけど、一体どんな女の子が着ていたんだろう…
その2に続く…❕


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