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サップ小説 世界初公開

作: 俺たちの湘南ヨットクラブ 李さん

『スタンドアップパドル』

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初めて自転車に乗れた日を覚えている。

川沿いの道に、補助輪を外した小さな自転車を押して進んだ。
僕はサドルに跨り、姉が荷台を押して勢いをつけてくれた。
姉は荷台からそっと手を放し、僕は漕ぎ出した。
自転車が前へ進む。自分の体も前へと進んでいく。
風が凄く気持ちよくて、どんどん自分の力でペダルを漕いだ。
また風が強くなった。
桜の花びらが空を舞いながら、僕はただひたすらに漕いだ。

どこまでも、どこへでも行ける。そんな気がしたんだ。

朝長聡志は19歳の春を迎えた。もうあと半月もすれば二十歳になる。一年の浪人生活を経て、希望の大学に入学した。

現役時代は部活を言い訳に勉強をあんまりしていなかった。陸上部では短距離走のランナーだった。高3の県大会ではいいところまで行ったが、全国に届かなかった。スポーツ推薦での大学進学の道も途絶えて、地元での就職か就職のための専門学校かと選択肢が狭まった。
それでも、どうしてもこの田舎から外に出たい。その一心で部活引退後から猛勉強した。結果、成績は格段に向上した。希望の大学には届かなかったが、その姿を見た両親は、一年の猶予をくれた。

入学式には両親も来てくれて、誇らしげな気分だった。ただ、二人は仕事もあり入学式が終わるとすぐに帰っていってしまった。初めての一人暮らし、聡志は少し心細さがあった。SNSを開くと地元の仲間たちが楽しそうに集まっている写真が投稿されていた。

「東京で、大学で、俺何すんだろうな。」

静まり返った部屋でベッドに寝そべりながら独り言を呟いた。夕飯を食べていないことに気付いた。とりあえずカップラーメンでも食べようと体を起こして、お湯を沸かすために台所に移動した。

次の日からガイダンスが続いた。語学のクラスが一緒になった何人かと知り合いになって連絡先を交換した。

バイトも何とか見つけた。コンビニとファミレスの掛け持ち。生活は軌道に乗り始めたけど、何かに打ち込みたかった。一緒に何かをやれる仲間が欲しかった。

大学の陸上部を覗いてみたが、スポーツ推薦の集まりで自分が入っても雑用の日々が待っていることが目に浮かんだ。元々、中学の先輩に引きずられて続けていた部活だったからそこまで未練があったわけでもなかった。走りたかったら一人でも走れる。それくらいの気持ちだった。

結局、ブラブラと気持ちが定まらない中、5月のGWを迎えた。実家に戻るでもなく家で暇していたら、同じ語学のクラスの知り合いがTwitterに楽しそうな写真をアップしていた。そして、ツイキャスで動画をリツイートしていた。彼が参加していたアウトドア系の同好会の新入生向け体験会の様子だった。

「SUP?何だろう。」

川の上にサーフボードを浮かべてオールか何かで漕いでいるみたいだった。
告知を見ると、明日も体験会があるみたいだ。案内に書いてあった集合場所の最寄駅をYahooで調べるとここから1時間くらいで着ける。やることもないから行こうと思って、申し込み宛先にあった連絡先にメッセージを送った。「Welcome!」とだけ返信があった。何か陽気な雰囲気が気になったものの、続いて持ち物の連絡があり、集合時間の確認をしてその日のやり取りは終わった。

次の日。少し薄曇りの天気だが、天気予報では降水確率20%となっていたので、何とか持つだろうと思った。

集合場所には、同年代くらいの若者が10人集まっていた。ちょうど男女半々だった。聡志はうまく会話に入れずに少し距離を取って独り立っていた。5分ほどして、駅前のロータリーに車が三台ついた。それぞれから真っ黒な人たちが出てきた。その中の一人は笑うと白い歯がこぼれる。胡散臭い感じだった。

「ようこそ、サップ試乗会に!さあ、車に乗って乗って。会場に行こう。これから晴れてくるから、早く準備して水の上に出ないと勿体ないよ!」

SUPってサップって読むんだと、この時聡志は初めて知った。

車に乗って、10分もしないで川に着いた。そこには既に8人の先輩と思わしき人たちが待機して準備をしていた。その一人に促されて女の子たちは更衣室に移動した。男は、タオルを腰に巻いてその場で海パンに着替えた。

着替え終わるとライフジャケットを渡された。川辺に目をやると何枚かのボードが並べられている。

着替え終わった女の子たちも合流すると、白い歯の人が、みんなの前で説明を始めた。

「このボードに乗って、川に出ます。バランスを取りながら、パドルを使って漕ぎます。それだけです。何も難しいことないよ。最初は近場で順番に練習しよう。」

話し終わると同時に、待機していた先輩たちがボードに乗って川辺に出て行った。

「そこのキミ、さあ乗ってごらん」と白い歯の人が聡志を捕まえて呼びかけた。

促されて、ボードを掴んで川に押し出す。その上に聡志は、飛び乗った。白い歯の人が後ろからボードを押してくれた。

川面を切って、ボードは前に進む。最初に乗った感動は凄まじかった。
川面にただ一人で浮かんでいる。
少し川の流れで揺れる。バランスを保ちながら、ソロリソロリ立つ。
おそるおそるパドルを漕ぐ。
少し漕ぐだけで息が上がる。漕ぐたびにバランスが崩れるから、うまくいかない。
辛くて空を見上げると凄く青かった。
いつの間にか雲はなくなり、高いところで鳥が翼を広げていた。
風が聡志を中心に右と左と吹き抜けた。

「どうだ。気持ちいいだろう!」

振り返ると、ボードに乗って、追いかけてきた白い歯の人がいた。
胡散臭いと思った白い歯の笑みが、眩しかった。
これをやってみよう。続けてみようと思った。
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プロローグ完

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