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vol.4 暗譜ってしなくちゃだめですか?

いたるところで定演の便りが聞かれる夏。
合唱の夏、定演の夏。

定演といえば、場合によっては3ステージくらいあり、
歌う曲も数十曲というところもありますよね。
定演に限らず歌うときは「暗譜=楽譜を用いずに演奏すること」
これは、暗黙の了解でした。

所属していた合唱部は、
特定の先生からの委嘱作品を演奏することが常でした。
今思えば、委嘱ってもの自体よくわからないし(笑)、
好きな曲を選べないのは、
なんとなく寂しいような、同時に、誇らしいような。
誰も口にはしないものの、贅沢な悩みを持っていたように思います。

さて、暗譜です。
そんなわけで、委嘱作品を演奏していたわけですが、
定演前日の夜に、
中には、
当日朝(!)に楽譜がFAXで届く、なんてことがあったんですね。

夜の定演までの数時間の間に、
音を取り、歌詞を覚え、ハーモニーをあわせる。
アドレナリンが最高潮に放出されていたので、できた技とも言えますが、
必死だったことを今でもよく覚えています。

暗譜はマストでした。
でも、本当にマストだったのでしょうか。
それは、自分たちの自己満足だったようにも思います。

暗譜とは、
自分たちの頭とカラダ全体に、音楽を染み込ませること
、だと思います。
息を吸って履くように、服を着るように、
そのくらい自然に、自分の中からハーモニーが出てくるように。
それが暗譜の意味
だと思います。

そうだとしたときに、
先の定演の”当日楽譜を暗譜したもの”は、目的がかなっているかというと
非常にあやしい・・・
むしろ、
自分の中に落とし込むなんてやっぱり時間も必要で、
たった数時間では、「なんとなく暗譜」がやっとでした。

暗譜ってしなくちゃだめなんだろうか。
当時、暗譜する意味をもっと考えていたら、
「この曲は、楽譜を見ながら心を込めて歌おう」という
勇気あるジャッジができたのではないか、そう思うのです。

「暗譜をしなくちゃならない」
ビジネスで例えるならば「手段の目的化」でした。
意味を、意図を冷静に判断すれば、楽譜を見る、という判断も
あったのだろうな、と今思います。

暗黙の了解、
共通のゴールを目指して、余計なことを考えずに集中できる、
これは部活の強みだと思います。

そして、ときに
それを疑うことができたら、
もっとよりよい歌が歌えたのかもしれないな、
と大人になった私は思うのでした。