メモ#1 学生運動と性構造


第1エッセイは徳シグナリングが性淘汰産物であるという主張を行う論文になる.これは1985年にコロンビア大で突然「大学側に運用ファンドのなかの南アフリカで経済活動を行っている企業の株を売り払えと要求する」学生運動が始まり,一気に盛り上がって荒れ狂い,数ヶ月後に沈静化した事象を取り上げ,あるとき突然あるイデオロジカルなテーマで過激なディスプレイが生じるという現象は学生間の性淘汰ディスプレイと考えると最もうまく説明できると主張するものになっている.この背景には80年代のアメリカ東海岸のキャンパスでは保守派やリバタリアンの男子学生は女子学生から嫌悪感を抱かれる(つまりもてるにはリベラルのディスプレイをするしかない)ような状況だったというミラーの実体験もあるようだ.ここではディスプレイにはパーソナリティの広告という側面もあることが議論されていて,のちのミラーのリサーチ方向を垣間見せているところも面白い.

 60年代 全共闘運動と女たち

http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage12.html

(アーカイブ)https://archive.ph/G7ywN

・徳signaling という概念

・学生運動、政治活動の中に「モテ」(性淘汰)の要素がある。
→アメリカ、共闘時代の日本に共通性
(今の日本の大学に政治的活動がほとんどないのは?
今は(政治)思想を語れる奴が「かっこいい!」とはならない。
しかし、サークルやコミュニティの長=権力側の男がモテるのは今も変わらず

思想を語ると距離を置かれる日本の大学生。対して、日本よりかは明確の考えを示すが、すぐにヘイトスピーチとみなされやすく、ポリコレなどが問題になっている、多様性の中で他人の気分を害する危険性が高くなかなか本音を表明しにくいアメリカ。)

全然関係ないけど、中国は女性が強い(解像度低めの感覚として)
政治運動は取り締まられるから、アメリカや日本とはそもそも前提が違う。
体制側はほとんど男であるとおもう。中国では女性が男に媚びる、あの気持ち悪い感覚を、パーソナルな思想とか構造の中でみかけることが少ない。(やるとしたらたぶん政略結婚とか、めちゃ大々的)


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