顔を知らないあなただけど、あなたの言葉が大好きです #誰かにささげる物語

百瀬七海として書き始めて、書くことで知り合った大切な人たちの顔を、私はほとんど知らない。
どんな街で、どんな風に暮らしているのか、どんなものに囲まれ、書くこと以外にどんなものが好きなのか、公表されていなければ知ることも簡単ではないだろう。

私だって、すべてを公表しているわけではない。もちろん、私生活に支障が出ては困るので、公表していないという理由が一番だけれど、この先もよほど親しくなった方以外に、私自身の私生活に関わることを話す機会も、そんなにないと思う。

だけど、ずっと書いていた人たちのお名前を見かける機会が減ってくると、とても淋しいと思う。私生活を知らないことが多い分、書きたくても書けなくなったのか、それとも、書きたいと思うことよりも他にやりたいと思うことができたのか、知ることができない。でも、ずっと好きで書いていた人たちが、書くことを嫌いになったとは思えなくて、きっとどこかその人がその人らしくいられる場所で、書き続けていると信じていたいなと思う。

WEBで小説を書くようになり、一番最初にできた友だちがいた。
彼女の書いた小説、彼女が綴る詩、すべてが私の心の中にすっと入ってきて、私は彼女を知りたいと思ったし、彼女もきっと私のことをそのように想ってくれていた。
彼女とは、忘れられない恋の話をよくしていた。
朝彼女にメールを送ると、夜彼女からお返事が届いた。最初はホームページの私書箱の機能を使っていたので、文字制限もあり、長い文章のやり取りではなかったけれど、たくさんのコラボをし、思い出せないくらいたくさんのことも話した。プライベートな話、仕事の話、今の悩み、小説を書く以外にも、たくさんのいろんな話をしてきた。

今までずっと好きで書き続けてきた私も、私生活では大きな変化があったことが何度かある。そのたびにこの先も書き続けていけるのか、悩んだのは一度だけじゃない。彼女に生活の変化があり、少しずつ更新の頻度が減っていったことも、仕方ないと思っていた。だけど、彼女が言葉を綴らない世界は、私にとってとても淋しいものだった。ときどき、彼女が綴った過去の言葉を読んでは、彼女に会いたいと何度も思った。

書かなくなって名前を見かけなくなる人は、決して少なくはない。
noteの街の中でも、ずいぶん見かけなくなった人も多い。
だけど、ひとつ強く想うのは、どこかで書き続けていてほしいということ。
名前を変えて、ゼロから始めるという選択をしたとしても、どこかで書き続けていてほしい。

言葉との出会いって、奇跡だと思う。
noteだけではなく、SNSでのやり取りが多い今のご時世で、たとえばTwitterで、フォローしていても、見逃してしまうTweetはたくさんある。
だから、名前を変えたら、また巡り会う可能性はとても低くなってしまうけれど、それでも、書き続けていてくれれば、巡り会う可能性はゼロじゃないから。

書きたいのに書けなくて悩んだり、書きたいと思う気持ちが萎んでしまったり、そんなことはこの先もたくさんあると思うけれど。

せっかく出会えた、大切な人たちの言葉には、私を元気にしてくれるチカラがあるから。
それは私以外の、あなたを想う大切な人たちの心も、元気にするチカラがあるということ。

だから、あなたの言葉を待っている。
あなたがどうか、心の元気を取り戻してくれますように。

あの頃に出会った大切な友だちへ。
どうかあなたが、どこかで書き続けていますように。

noteで出会った大切な友だちへ。
あなたの言葉を楽しみにしています。


こちらの企画に参加させていただきました。
ありがとうございます。


2022.7.18

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いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。