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彼女に吐く初めての嘘 #月刊撚り糸 (2021.9.7)

「杉野真帆さんとは、どうにかなった?」

俺の部屋のベッドの上で、優香がおもむろに呟いた。

心臓が止まるんじゃないかと思うくらい、衝撃を受ける。だけど、そんなことを微塵に感じさせないように、俺はポーカーフェイスを装った。

「誰だよそれ。見たことも聞いたこともないよ」
「あっ、そ、ならいいの」

優香は俺のベッドに寝転ぶと、大きく両手を広げて身体を伸ばした。
Tシャツからは細い腕が、ショートパンツからのびる脚は、俺の理性を試すかのように、すらりとまっすぐとしている。

杉野真帆を、見たことも聞いたこともないなんて嘘だ。
優香に気づかれないように、ちらりと杉野真帆の部屋の方向に視線を移す。

突然引っ越してきた隣人は、杉野真帆という名前だった。

そして今、俺はその隣に住む真帆と時々密会を重ねている。
今、優香が寝転んでいる、そのベッドの上で。

俺には、真帆という名前の彼女がふたりいる。
他の真帆たちのことを、俺は絶対にこの部屋には呼ばない。
俺の部屋に来る女性は、幼なじみである優香と、隣にいる杉野真帆だけだ。
杉野真帆が、どうしてこの部屋で俺に抱かれるのか、その真意はわからない。
彼女だけは、他の真帆たちとは違って、俺に「愛してる」の言葉を求めてきたりしない。
そこがまた、俺の征服欲を刺激してきているのかもしれない。

杉野真帆に出会ってからの俺は、少し変だ。
どんなときも、俺はたったひとりの、目の前にいる真帆だけを愛してた。
真帆といるのに、他の真帆のことを考えることなんて、決してなかった。
どちらの真帆のことも、同じくらい愛していて、きっと同じくらい愛していなかった。

「なぁ、優香」
「ん? なに?」

優香には、この想いを伝えた方がいいんだろうか。
俺と、ふたりの真帆との関係を、唯一理解してくれている優香なら、杉野真帆との関係も、そして変わってしまった俺の気持ちも、わかってくれるだろうか?

それともさすがに今回は、優香も愛想を尽かすんだろうか。
「最低」と、俺を罵るんだろうか。

優香が突然腕を伸ばして、俺のことを思い切り引き寄せた。
ぐらりと揺れた視界でとらえたのは、優香の唇だった。
柔らかなその唇まで、わずか10センチ。

「杉野真帆さんのこと、見たことも聞いたこともないなんて嘘よ。蓮の隣人でしょ?」

優香の瞳から、俺は視線を逸らせなかった。


このシリーズは連作となっています。よろしければ上記マガジンよりお楽しみください。

2021.9.7

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