真夜中の舞踏会
「高野くん」
文化祭の仕事で、ひとりきりでいた放送室。
そこにノックと共に入ってきたのは、先週東京の高校から転校してきたばかりの女子、柏木だった。
残り半年もない高校生活。
三年生というこの時期に転校してくるなんてかなり珍しい。
周囲の女子たちは、初日こそ柏木の周りに集まっていたけれど、当の柏木はそんな女子たちにはまるで無関心だった。
かといって、男子たちが柏木の周りに集まってきても、柏木は女子たちに対してと同じように無関心を貫いた。
その結果、転校3日目にして、柏木に話しかける勇気のあるやつは、いなくなっていた。
9月に入ってすぐに行われる文化祭の準備もあり、クラスメートたちはそれぞれ担当の仕事で忙しく、柏木がひとりでポツンとしていても、まるで気にかける様子はない。
だから、まさかその柏木が、この文化祭当日に、わざわざ放送室までやってきて、俺に話しかけてくるとは、夢にも思っていなかった。
「どうかした?」
思えば、柏木の声を聞くのは、これが2度目だった。
1度目は、転入初日の自己紹介で。
とはいっても、柏木は自分の名前を名乗っただけで、彼女が東京から来たことや、残り半年もない高校生活になるために、みんなと違う制服で過ごすことなどを説明したのは、すべて担任だった。
「後夜祭なんだけど、私と一緒に花火見ない?」
「俺が?」
うちの高校の文化祭は、近隣の高校からも多くの人が集まる。
後夜祭も毎年かなり盛り上がり、校庭にあがる打ち上げ花火を見に来る人も多かった。
「うん、高野くんと。プールサイドで待ってるから」
柏木は、俺の返事を聞く前に、くるりと踵を返して、放送室を出て行ってしまった。
なんで俺なんだ!?
俺が柏木に声をかけたことは、一度もない。
周囲の男子たちが声をかけて無視されているのを見ていたら、当然柏木に声をかけようなんて、そんな気持ちはわきあがらなかった。
◇◇◇◇◇
きっと、からかわれているに違いない。
そう思いながら、文化祭の仕事をしていると、彩花が放送室にやってきた。
彩花とは幼馴染で、保育園の頃からのくされ縁。
俺は彩花のことがなんとなく気にかかっていたけれど、その気持ちを彩花には伝えられなかった。
この居心地のいい関係が、壊れてしまうのが怖い。
それが一番の理由だった。
自分の気持ちを曖昧なままにしておけば、彩花に彼氏ができるまで、彩花の隣にいられるのは俺だったから。
「佑樹、後夜祭の花火、今年は一緒に見てあげようか?」
彩花がちょっとからかうように言う。
去年も一昨年も、中学時代に遊びに来ていたときだって、俺が彩花と後夜祭の花火を見たことはない。
彩花はいつも他の男子に誘われ、この後夜祭の花火だけは、俺は他の男子に彩花の隣を奪われていた。
だからといって、彩花がその男子と付き合ったということはなかった。
そのときに告白はされるらしいが、彩花はいつも断っていたらしかった。
たとえ冗談だったとしても、彩花の方から誘ってくるのは意外だった。
高校生活最後の文化祭の夜。
その夜を彩花と過ごしたくて狙ってるやつは、何人もいるはずだ。
「あれ、もしかして、他に誰かと約束したとか?」
何も答えない俺に、彩花は探るように俺の顔を覗き込む。
彩花から、ふわりと甘い香りが漂ってきて、急に鼓動が高鳴った。
「え、あ、いや、」
一瞬思い浮かんだのは、昼間にやってきた柏木の顔だった。
もっとも、柏木とは約束をしたというより、無理矢理約束をさせられたという方が近いけれど、柏木の申し出を断らなかった以上、柏木はプールサイドで待っていることだろう。
窓の外はもうすっかり暗くなり始めている。
花火が始まるまで、もう時間がない。
彩花と念願の花火を見て、幼馴染の殻を破るべきなのか、彩花のことを置いて、柏木との約束を守るべきなのか、俺の気持ちはすごく揺れていた。
俺は柏木のことを何も知らない。
それは柏木だって同じことだろう。
反対に、ずっと想いを寄せてきた彩花が、これから始まる花火を、俺と見てもいいと言っている。
誰がどう考えたって、彩花との時間を選ぶべきだろう。
わかってはいるのに、俺が彩花を選んだら、プールサイドでひとり寂しく花火を見ることになるであろう柏木のことを考えると、胸が苦しくなった。
時計をちらりと見る。
もうすぐ後輩が交代しに放送室に来る時間だった。
花火の前に、みんなでダンスを踊る。
その選曲は、俺たち放送委員が任されていた。
「高野先輩、交代にきました」
後輩がふたり放送室に入ってくると、彩花は待ってましたと言わんばかりに、俺の手を掴む。
そして、プールサイドとは真反対にあるテニスコートの方へと向かって歩き出した。
「彩花」
「行かないで」
彩花が悲しそうに俺を見つめる。
今まで一度だって、そんな彩花の顔を見たことはなかった。
「彩花?」
「柏木さんと約束したんでしょう?」
きっと彩花は俺と柏木の話を聞いてしまったんだろう。
わざわざみんなのいる校庭ではなく、少しでもプールサイドから遠いこの場所に来たのも、納得ができた。
校庭に一曲目の音楽が流れ始める。
みんなで踊りたくなるような曲を中心に選んだこともあり、校庭ではかなりの盛り上がりを見せていた。
「約束というか、」
ダンスのために選んだ曲は三曲だ。
ここから、花火が始まる前にプールサイドに行くには、彩花と踊っている時間はない。
彩花が俺の手を取り、踊り出す。
俺はそんな彩花の手を振りほどくことができなかった。
一曲目が終わり、二曲目に変わる。
彩花は俺が行かないと思ったのか、二曲目は踊ろうとはしなかった。
かわりに、俺の胸に自分の顔を埋めると、俺の背中に腕を回してきた。
「もう、行かないよね」
そう言われた瞬間、俺は無意識に彩花の腕を振りほどいた。
彩花は、そうされるとは思っていなかったのか、驚きと悲しみの表情で俺のことを見上げた。
「ごめん、彩花」
「柏木さんのこと、好きなの?」
それに、すぐに答えられるほど、俺はまだ柏木のことを何も知らなかった。
「わからない。だけど今は、柏木のところに行きたいと思っている」
それが何よりも素直な自分の気持ちだった。
「そっ。だったら早く行って」
彩花が俺の背中をポンと押す。
俺は「ごめん」と謝ると、プールサイドに向かって走り出した。
◇◇◇◇◇
プールサイドに着くまでの間、本当に柏木がそこで待っていてくれるのか、不安で仕方がなかった。
全速力で走ったおかげで、三曲目が始まるとすぐに、プールサイドに到着した。
プールサイドでは、放送室から流れてくる音楽は、ほとんど聴こえてこなかった。
柏木は俺が来たことに気づくと、嬉しそうに駆け寄ってきて俺の手を取った。
「踊らない?」
「聴こえるの?」
「少しだけね」
柏木は、ダンスを習っていたことがあるのか、さりげなく俺をリードしてくれる。
プールの水面にうつる満月は、生温い風が吹くたびに、静かにそのカタチを壊しては元に戻ろうとしていた。
曲が終わると、柏木が俺の手を離して、プールサイドに座る。
俺もその隣に腰を下ろすと、静かに1発目の花火が上がるのを待った。
「好きかもしれない」
静かな空間に、柏木の声が聞こえてきた。
「かも?」
告白なのか、告白ではないのか、曖昧すぎて、なんて返せばいいのか、それ以上わからなかった。
「うん、かも。高野くんだけだったんだ。私に話しかけてこなかった男子。だからね、気になって仕方なかったの。そしたら、もっと知りたくなっちゃった」
俺が柏木に話しかけなかったのは、ただ勇気がなかったからだ。
思えばずっと、俺は意気地無しだ。勇気なんて、一度も出したことがない。傷つくことが怖くて、現状に甘んじてばかりだ。
初めて出した勇気。
それが、柏木の待つこの場所に来ることだった。
彩花の手を振りほどいても、この場所に来ることを選んだ俺。
それが初めて自分自身で選んだ道だった。
低い音と共に、1発目の花火が空に大きな花を咲かせる。
俺は立ち上がると、柏木に向かって手を出した。
「もう一曲、踊りませんか?」
柏木は嬉しそうに頷くと、俺の手を取った。
fin
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。