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家出をした小さなアイツ

忘れたい記憶ほど、いつまで経っても鮮やかで、忘れたくない記憶ほど、時とともに色褪せていく。私の記憶は、どちらかというとそんな感じだ。

物を失くして落ち込むということは、誰でも一度くらいはあったんじゃないだろうか?
その失くしたものが大切にしていた物であればあるほど、落ち込み方も半端ない。

恋人からもらったプレゼントは、なんだって嬉しい。それは、なによりも気持ちがこもっているからだと思う。
だから、どんな物だって大切にしてきた。失くすなんて論外!

その彼からもらった一番最初のアクセサリーは、指輪だった。
クリスマスプレゼントにと、ふたりで一緒に選んだ指輪。お気に入りのデザインだったのはもちろんのこと、好きな人からの初めての指輪のプレゼントとなれば、誰だって大切にするのは当然だろう。

念のため書いておくと、私はそんなにしょっちゅう物を失くしたりはしたことがない。
ピアスをなにかに引っ掛けて落としてしまったことは何度かあるけれど、記憶にある中ではそれくらいだ。

いつもの通り、指輪を身につけて、駅までの道を急ぐ。指輪って不思議で、大切な人がプレゼントしてくれたものだと、いつも側にいて守ってくれているかのような安心感がある。

もちろん、指輪以外の身につける物、例えば、時計だったりネックレスだったりでも、大切な人がプレゼントしてくれた物というだけで、そのような気持ちになれる。
だけど指輪は、時計やネックレスとは違い、相手のサイズを知らないとプレゼントできない物であり、選ぶ側としても難易度が上がるから、余計に大切に想われている感じが伝わってくるのかもしれない。あくまでも、私の中ではですが。

きちんとサイズをはかって買ってもらった指輪。ジャストサイズのそれを落としてしまう、なんていうことは、当然想定外だった。
しばらく歩きながら、時々他の指で指輪に触れる。そこにあるだけで、幸せな気持ちになれる。

恋人からプレゼントじゃなかったとしても、私にとってのアクセサリーのスタンスはそんな感じだ。身につけていて気持ちが安らぐとか、幸せな気持ちになれるとか、元気になれるとか。可愛い! はもちろんのこと、そういう感覚を大切にして選んだ物を身につけたいと思っている。

大切な人がプレゼントしてくれた物が、そんな風な気持ちにしてくれるのは当然のことで、駅に着いて、いつものように指輪に触れながら、大切な指輪を見ようとした時、とんでもないことに気がついてしまった。

指輪がない!

いや、指輪はある。
指輪についているはずのムーンストーンの石が失くなっていたのだ。

朝、指につけた時には気にならなかった。その時点でもしムーンストーンがついていなかったのなら、絶対に気づくはずだ。ということは、ムーンストーンを失くしたのは、家を出た後。

歩きながら、指輪には何度も触れた。でも、右手の親指で右手の薬指にはめた指輪に触れられるのは、石のついていないリングの部分だけだ。歩きながら何度も触ってはいたけれど、一度もムーンストーンの部分には触っていない。

真っ青になりながら、辺りを見回したけれど、どこで落としたのかもわからなければ、見つけるのが困難なほどの小さな石だ。
もうすぐ電車も来る。諦めるしかなかった。

いつも彼が側にいてくれる、そんな風に感じてた指輪だったから、一日中落ち込んだ。今まで、物を失くしてあんなに落ち込んだことはない。それは彼からのプレゼントだったからというだけではなく、まさかそこを失くすとは思っていなかった部分だったから、余計に落ち込んだのかもしれない。

手を洗う時、お風呂に入る時、そういうタイミングで指輪を外して、失くしてしまったとかいうのは、よくある話かもしれない。
私と同じように、指輪についた石を失くした人はどのくらいいるのだろうか?

ちなみに、最近車でしかかけない眼鏡を失くした。


こちらの企画に参加しています。


2021.2.15

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#表現者たちのエッセイ展覧会 #何故か覚えている記憶


いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。