レモンの残り香、悪戯な嘘 #クリスマス金曜トワイライト
さよならまでの時間が、すぐそこに迫っていた。
あなたは、間に合うのでしょうか?
そもそも、追いかけてきてくれるのでしょうか?
少しは、後悔をしてくれているのでしょうか?
その答えを知りたいと思うのに、怖くて振り返ることができません。
ねぇ、あなたは私を、本当に愛してくれていましたか?
田舎に帰ろうと決めたのは、母の入院がきっかけだった。
でも、それは本当にただのきっかけに過ぎなくて、答えの出ない私たちの関係に、少し疲れてしまったから。
あなたは、どうして私と付き合っているの?
もう彼との付き合いは7年になる。
30歳を目前にして、彼が結婚というカタチを意識していないのは、私にもわかっていた。
彼には追いかけたい夢がある。
そんなこと、わかってた。わかってるつもりだった。
彼の部屋の郵便ポストに残した置き手紙に、上野発の特急列車の時間を書き記しておいた。
それは、私の最後の賭けだった。
このまま終わってしまう2人なのか、それとも、この先の未来へ踏み出す2人なのか。
別れたいとは書かなかった。
東京での生活が少し疲れたと書いただけ。
私は何に疲れたのだろう?
答えの出ない彼との関係?
それとも?
◇◇◇◇◇
私たちが出会ったのは、品川・御殿山の住宅街にある美術館だった。モダンアート展のパーティー会場に訪れた私は、こういうパーティーは初めてのことで、少しだけ緊張していた。
『ココにはよく来るんですか?』
不意に声をかけてきたのが、彼だった。
こういう場所によく来ているのか、さっきからいろいろな人に声をかけられていた。
『いえ。はじめてです。。』
『僕もはじめてです。。。嘘です』
嘘と言ったときの彼の顔がかわいくて、思わずクスッと笑ってしまう。
話しやすそうな人。それが彼の第一印象だった。
広告の仕事をしているという彼。
書道を教えている私とは、生きている世界が違ったけれど、話せば話すほど、彼を愛しく思った。時折嘘を交えるときの表情は、まるで子どものようだった。
まだほんの少ししかシャンパンを口にしていないのに、頬が熱い。
彼は私の手を取って美術館を抜け出そうと言った。
私は静かに頷いた。シャンパンのせいではない。彼のことをもっと知りたいという、私自身の意思だった。
◇◇◇◇◇
古い洋館のホテルは、私たちのお気に入りの場所だった。あそこにいると、それだけで現実を忘れられた。
重なり合ってしわくちゃになったシーツ。何度も唇を重ねてくる彼に、溶け出す想いと身体。
彼といると、それだけで幸せだった。
何にもいらなかったはずなのに、いつから何かを欲しがるようになってしまったんだろう。
彼はよく、私のうなじに舌を這わせた。そしてなぜか、レモンの香りがすると、よく言っていた。
「愛してる……嘘です」
これも、彼の口癖だった。
◇◇◇◇◇
ホームにベルが鳴り響く。
人ごみの中、彼の姿をとらえた。
来てくれたんだ。
それだけで、涙が出そうになる。
彼は、私に気づくと、大声で名前を叫んだ。
彼の声に驚いた人たちが沢山、彼の方を向く。
彼は、そんなことはお構いなしに、人の波をかきわけ、駆け寄ってきた。
来てくれたんだ。
もう、涙はいまにも溢れそうだった。
「いくなよ」
行きたくないとは、言えなかった。
そのかわり、ポケットから取り出したものを彼に手渡す。
私に選択肢を委ねるような、そんな言い方をしてほしくなかった。
強引に、私を抱きしめて、ここから連れ去ってほしかった。
発車のベルが鳴りやむ。扉が閉まると涙が頬を伝った。
「ごめんね」
やっと唇から出た言葉は、彼に届いただろうか?
電車がゆっくりと、2人を引き離した。
◇◇◇◇◇
この手紙を読んでくれているなら、あなたに会えた時でしょう。身勝手なわたしを許してください。
本当はわたしは負けそうな自分が怖いのです。距離や時間が離れたとき、あなたが消えてしまいそうで。それが怖いのです。
ずーっと会いたかった。だけど言えなかった。あなたが仕事で活躍していけばいくほど遠くなった。
でもね。あなたに出会えてよかった。
ずっとあなたを感じていたいのです。あなたの頬や、あなたの唇に触れていたいのです。確かに一緒の時間をすごした日々を、心と体に焼き付けておきたいのです。
あなたが好きです。大好きです。
◇◇◇◇◇
さよなら、大好きな人。
最後に、あなたに会えてよかった。
あなたがここに来てくれたこと、いくなよって言ってくれたことで、あなたがいままで伝えてくれた「愛してる……嘘です」が、嘘じゃなかったってちゃんと伝わったよ。
『嘘です』っていうときの、あなたの笑顔が胸に広がって、涙が溢れ出す。
「愛してる……嘘です」って、照れ隠しで言ってたあなたの笑顔。大好きだったよ。
あなたはどうか、夢を叶えて。
あなたの幸せを願っています。
追記
池松さん、クリスマス金曜トワイライト、2本目も参加させていただきました。ありがとうございます。
池松さんの書かれた4本の小説の中から選んだ1作品をリライトするこちらの企画。
1作品目同様、もっと物語の見えない部分を、私なりに描きたいと思い、女性目線で参加させていただきました。
このお話を選んだ理由ですが、追いかける彼の心情と、そのとき見た彼の景色が、まるで映画のように私の中で再生されたからです。
来るかどうかわからない彼のことを、彼女はどんな想いで待っていたのか、どうしても書きたくなりました。
池松さん、素敵な企画ありがとうございます。
2020.12.9
いつか自分の書いたものを、本にするのが夢です。その夢を叶えるために、サポートを循環したり、大切な人に会いに行く交通費にさせていただきます。