見出し画像

おじいちゃん

おじいちゃんは、私が生まれた時から二人とも亡くなっていて、存在を写真でしか知らなかった。もしかして、それが物心ついて男性に甘えることに対して、なかなかできない自分がいた原因なんじゃないかと最近になって思う。

物心ついた時には、父はアルコールに溺れていた。なので、父に甘えることはできなかった。そのかわり、父に頼まれて焼酎4ℓペットボトルを弟と一緒に買いに行く時にいた酒屋のおじちゃんが、あの頃の私にとってのおじいちゃん的存在だった。

何を話していたのかは覚えていないんだけど、別れ際にいつも私の両脇を持ち上げて“たかいたかい”してくれた。すごく恥ずかしくて、でも嬉しくて、また会いたくなって喜んでおつかいにいっていた。

皮肉にも、このおつかいが父の病を引き起こすことも知らずに。。。

やっぱりこうゆうところでも、あの時代の大人って子供の未来のことを考えることよりも、自分がどうあるべきかを優先してたんだなーって思う。1980年代の40~50代大人たち。お金に余裕がある家庭は今よりたくさんいたんじゃないかな。だからこそ、家庭の問題を周りに打ち明けることに対しての罪悪感がとてつもなくあったんじゃないかと母の発言から感じる。今の時代みたいに、悩みを打ち明ける場所がなかったことも事実。

酒屋のおじちゃんは、私たちの家族のこと気づいてたかなー?もう生きていないと思うけど、、私のおじいちゃん役をしてくれてありがとう♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?