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わたしを渋谷にとどまらせてくれたコロナくん

コロナがこんなに流行る前、2020.1月半ばに母は膝に人工骨を入れる手術をした。わたし以外家族はいないので立ち会うことになるため帰郷した。

仕事を辞めることを9月から上司に話していたので夏からずーーっと有給消化の計画を立てていた。なのに、今年度に5人退職することを聞いたこと、1月にキックボクシングしたら思いのほか楽しくて、まだここで続けたいなーって火がついて家着いてすぐに上司へLINEして交換条件みたいな提案した。

母の介護休暇を1ヶ月半もらって4月からまた働きたいと。

それまで、実家で暮らそうと思っていたわたしは、実家の2階に住めるようにリフォームしたばかりだった。税金が上がる前にいつか住むことになるんだったら今しておこうと考えた結果だった。だから後悔してない。

母の退院は、予定より2週間ちかく延期となりわたしはやることがなく毎日を1人で過ごした。介護休業の間は一文無しなので、カード生活となったためお金は食費で使うことしか出来なかった。でも、どうしてもキックボクシングがしたくて宇都宮のジムで回数券を購入して通った。どんだけハマってるんだろ、わたし(笑)。

リフォームが終わってる2階の部屋は、陽当たりよく眺めもいいんだけど、夜が苦痛だった。家は、JRの線路沿いにあるので電車音で眠れない日が続いた。母は、2年以上前から住んでいるので音には慣れたと言っているがわたしにとって拷問のように感じた。

2階はさらに音が響く。深夜2時まで貨物列車が通るので浅い眠りがずっと続いて、その度に携帯で防音カーテンとか防音窓調べたり、騒音アプリダウンロードしたりして気を紛らわしてた。結局7万もする防音カーテン買った(笑)窓も業者に見積もりしてもらった。流石に窓までは手を出せなかったけど、住むなら窓を変えないといけないことは住んでみてわかった。

なので、この家に住むにはお金が必要ということが身に染みてわかった長い休みだった。母が退院してからも、車がないと生活をしていけないことも感じた。

介護休暇をもらったのは二月末。退院が伸びて結局復帰したのは4月の2週目の月曜日。多分10日だった気がする。その日から2ヶ月のコロナ自粛生活。。

母は、コロナが流行る前の3/3に退院できた。それもまた奇跡。あと1週間ずれてたら、面会も行けなかった。


今思うと、コロナくんがわたしを渋谷へ導いてくれた。こないだ、新築に近い物件に引っ越しすることができて心機一転、またさらにワクワク度が増している。

渋谷がわたしを守ってくれてる。だから、これから返す番。何かできる!





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