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デジタル momo

【日本を戦争に追い込んだルーズベルト】


🔴ルーズベルト2
モーゲンソーの案はそのときは採用されませんでしたが、米国はフライングタイガースと称して戦闘機100機と空軍兵士200人を中国に派遣し、前回紹介した退役軍人クレア・シェンノートの指揮下に置きました。
戦闘機は国民政府軍のマークを付けていましたが、米国は実質的に支那事変に参加していました。
日米戦争は始まっていたのです。ルーズベルトは有権者への公約を破っていました。

国民政府軍を装ったわが国への先制爆撃計画は翌1941年、息を吹き返します。
7月23日、ルーズベルトはJB355と呼ばれる文書に署名しました。その文書は150機の長距離爆撃機を国民政府軍に供与して、東京、横浜、京都、大阪、神戸を焼夷弾で空襲するという計画書でした。
真珠湾攻撃の5カ月前にルーズベルトはわが国への攻撃を命令していたのです。

しかも、この計画を推進した大統領補佐官ロークリン・カリーはソ連のスパイだったことが明らかになっています。

JB355への署名から2日後の7月25日、米国は国内の日本資産を凍結。
28日にわが国が南部仏印進駐に踏み切ると、米国は8月1日、わが国への石油輸出を全面的に禁止しました。
そして英国、中国、オランダをそそのかして封じ込めを強めました(ABCD包囲網)。
石油がなければ国は成り立ちませんから、「死ね」と言っているのと同じです。

#ルーズベルト2

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