#読書の秋2022 勝ち逃げ。

#読書の秋2022
#悪意の手記
#中村文則

大前提として、僕は中村文則氏の大ファンである。全作品は読めていないが、この作品はとても印象に残ったので感想を書く。

この本を始めて読んだのは大学3年の時で3年前になる。その時は儚さや、自意識に呑まれる中村文則節が効いていて面白いと思うだけだった。
それから3年が経ち、祖父母、そして父が亡くなった。初めて人の死を目の当たりにして、どうしようもない感情が生まれた。

僕はこの物語は主人公の勝ち逃げの物語だと思う。重い病気から帰ってきた主人公が、人生に何も楽しみなどを見出せず、死のうとした時に現れた親友を殺したのにも関わらず、普通の(ここでいう普通とは犯罪を犯していない人間)人間と同じ幸せと悲しみを10〜20代で味わい、やがて出頭するも、かえって居場所を得たように安心し、再び重い病気が再発し、最後は集中治療室に入って終わる。

人生が虚無な瞬間は多くの人に存在するものだと思うし、若い人間には誰しもが起こりうる状況だと思う。病気によって狂わされた、おかしくなったことに関しては同情するが、人を殺してしまった人間が、罪悪感を感じ何かしら償うというわけでもなく大学に進学し、SEXをしたり、悪徳なバイトをしたりと、より人間らしい生活をしていると感じたのだ。つまりこいつは、自分のことを卑下しながら生き続けているのだ。

幕切れには、とても腹が立った。きっとこの本を投稿したのは、その病院の看護師さんか、警察だと思うが、文学的に面白いなどと言ったフィクション的視点しか持っていないと思うのだ。

私事の話になるが、僕の父が死んだ後に、父の浮気が発覚した。もう何年も前から浮気していた証拠がいくつも出回り、それを問い詰めることもできず、責めることも出来ない。ただ現実の僕を含む家族が父を呪い、地獄に行くことを願うことくらいだ。父は癌になり、余命1年だった。その1年間(実際は1年1ヶ月生きた)の間に、掃除をしたり、物を捨てる時間はいくらでもあった。僕たちに悪意を持っていたのか、それとも片付けるのが億劫で片付けなかったのか、今では何も分からない。ただ、癌で苦しんでいたが、父は僕たちの知らないところで人生を謳歌し、まるで勝ち逃げするように死んでいった。生前に何も責められることなく、葬式で多くの人に(僕も含む)別れを惜しまれながら焼かれた。その日は曇りだったが焼き場からの帰りは晴れていた。当時は父の力だと嬉しく思ったが今となっては、心底腹立たしい晴天だった。

この主人公も、この手記の続きが書かれていないことから、死、もしくは死に等しい状況になったのだろうと思う。これは、僕から見たらどんなに苦しんでいようと、償いもせず、謝罪もせず、ただ生きた人間が死んでいく勝ち逃げに感じたのだ。

救いという救いはなく、祥子と武彦の存在が印象的だが、初読みの時と今では救いがあってほしかった思いから、救いなんて起こるなという感情に変わった。先に話したことがきっかけだと感じた。

とても感情移入して読んでいて飽きない作品でした。是非皆様も読んでくださいまし。

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