おばあちゃんがボケた話

こんばんは。

最近子ども服売り場で卒園式やら入園式、卒業式や入学式用にフォーマル?な服を試着する親子をとても見かけます。
もうそんな時期なのかと、光陰矢の如し。って感じ。

ふと、思い出したのが。
私、卒園式と入学式の服、おばあちゃんが作ってくれたな。ってこと。

うちのおばあちゃん、つまり、母の母なんだけど。
若い頃、洋裁学校に行ってて
そこで先生の助手?的なこともしてた人で
母やおばの小さい頃の服を作ったりしていたそう。
で、孫である私と妹にも行事に花を添えるべくワンピース、しかもボレロ付きを作ってくれた!

嬉しい!
さすが、うちらのおばあちゃん!
喜んで着ていく。

春に合わせて、黄緑までいかないうす緑の可愛いワンピースだった。
…色が問題だったのだろうか。
保護者からの評価は良かったらしいけど(母いわく)
同級生の評価は最悪。
みんな、紺色にピンクの差し色のスカートやら、ジャケットやらツーピースが大半だった。
ワンピース皆無。私オンリー
緑も私オンリー

クソだせぇ。
と言われた。

私はおばあちゃん大好き人間だから、同級生の評価をマジか。と思ったけど
内心、緑系の服が好きでなかったので、「ま、そうだよね」くらいに感じていた。
洋服の色はびっくりしたけど、普段話すのはとても楽しい。
ユーモアがあって、おどけたことも言えちゃう最高のおばあちゃん。

だんだん目が悪くなってきて、洋服を作る機会は減ってしまったけど、私や妹に洋服を選んでくれたりしても
色のチョイスが最高。
さすがおばあちゃん!!って感じ。鼻高々。

そして、おばあちゃんは若い頃活発なひとだったらしく、小中学校のときにやってしまったエピソード的なものがたいてい一緒。
放送委員で、声がでかい。空気読めないけど、いい感じにその場がまとまる感じとか。
「ついつい、やっちゃうよねー」と笑いあったのだった。

ところが、高校生の時におじいちゃんが亡くなった。
二人ともとっても仲が良かったから、おばあちゃんは本当にさみしそうで、よく「おじいちゃん、早く迎えに来てくれないかなぁ…」なんて口にすることが増えてきた。

元々肝臓が悪かったおばあちゃん。
ある日病院で、脳の検査をしたら、「萎縮が見られます。」と、唐突に言われた。
不思議な発言をすることはないですか?
物忘れが多かったりしないですか?
…もともと天然な性格なので、まさに寝耳に水。

え?ボケてんの?
あれ?認知症なの?もしかして。と家族は思った。
とはいえ、そんなすぐにおかしくなったりしないでしょ。
と軽率な私は思っていた。

その診断から1年。
持病の肝臓のせいで、入院したとおばから連絡をもらい母とおばあちゃんのお見舞いに行った。
何かのタイミングで母が席を外し、二人になったときそれは起きた。

「あなた、だぁれ?」

ぎょっとした。この前まで、楽しく会話して、名前も読んでくれていたのに。
「…え!? 孫の私だよ?minikiだよ!」
『えっ!!!? だって、minikiちゃんはもっと小さいもん。だってまだ小学生だよ?あなたは大人じゃない』
なんの疑いもなく私に言うのだ。もう24歳の孫に。
そこで母が戻ってきて、笑いながら訂正をしていたが、全然理解してくれていなかった。
そこでようやく事の重大さに気が付いた。

そこから何回か会っても、孫だということが分からなくなっていた。
正直、母のことも分からなくなってきているみたい。
ヘルパーさんと一緒になって考えているらしい。

これを書いて、なにか整理したかったけど
全然整理が追い付かない。
もっとおばあちゃんと話がしたい。
若い頃の話とか、たくさん聞いてみたいけど。
もう知らない人になってしまっている孫の私に話してくれない。
あんなに仲の良かったおじいちゃんが亡くなっていることも忘れている。
夕方になると、「いつ帰ってくるの?」と叔母に聞くという。

またおばあちゃんに新しい洋服について感想が聞きたいけど
「きれいねぇ」とかしか言わなくなってしまっているから難しそう。

こういうボケてしまったエピソードって、子どもの立場の話聞くけど、孫の立場の話をあまり聞かないから、どう気持ちの整理をつけてるのかわからん。困った。

ふと、入学シーズンだから思い出したけど。
おばあちゃんに「小学校の入学式の服、大好きだよ。ありがとう」ってちゃんと伝えればよかった。
緑がそんなに好きじゃないからって、あまりちゃんとお礼を言えなかった。
いつでも話せるからいいや。
じゃないよ!
私のことがわからなくなっちゃうなんて、思ってなかったけど。
本当にわからなくなっちゃったら、お礼もなにも言えないからね。

あー後悔。
後悔してももう遅いし、伝えたところで分からないよね。今になっては。


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