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松本零士先生に感謝を綴る

やっと、綴る気持ちになりました。
ちょっと、文字にするのに時間がかかりました。

「松本零士」先生について・・・

私の家庭環境は、どなたが聞いてもまあ、普通ではない環境でした。
知っている方は
「強いね」「よくグレなかったね」「…(言葉にならない)」
そんな感じです😂
小学校4年くらいのときに、学校でアンケートのようなものがあって、
項目に「尊敬する人」ってありました。
友人やクラスメートは「両親」と書いていました。
普通そりゃそうですよね、
でも・・・
私、本当全く「両親」って浮かばなくて、ただ一人
「松本零士先生」
堂々と記入したこと、今でも覚えています。

物心ついたときから、「宇宙戦艦ヤマト」がわたしの世界観に
大きく影響していました。
宇宙にいってみたい!星の海にいってみたい!
「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「1000年女王」と立て続けにメディア展開され、松本アニメブームは凄いものでした。
アニメだけだと、ここまで私の人生に深く根付かなかったかもしれません。
私が影響をうけたのはここからで、
お小遣いをためては、書店に走り、
古本屋を見つけては、昔の作品を購入し、
短編集などのちょっとお高い復刻版がでれば、複雑な家庭環境をタテに
おねだりして購入してもらいました。

作品のことをすべて上げるとキリがないので、
子供時代の思い出を少し。
「ワダチ」「ミライザーバン」といったジャンルを購入するのには
「女の子なのに、男の子のものが好きなんだなあ」
と思われるくらいで、なんてことなかったのですが、
「ミステリーイヴ」「セクサロイド」を購入するとき、
まあドキドキでした。
でも「松本零士先生の作品はすべて読みたい!」という気持ちが強く、
堂々とレジに持っていきましたが、
きっと顔は真っ赤だったと思います😂

戦争のこと、もちろん体験したことないし、学校でも
世界大戦の事はあまり授業では触れられませんが、
わたしには子供のころからコミックがボロボロになるまで読んだ
教科書のような作品、
「戦場まんがシリーズ」が常に手元にありました。
10代のころ調べてみて
本当にあったんだと愕然としたのが「音速雷撃隊」
「桜花」でした。
戦後70年のTVの特番で桜花が紹介されて、瀬戸内寂聴さんですら
「こんなの知らなかった」と仰っていたのを見て驚きました。
「私は子供のころから知っていたよ、これも松本先生のおかげだ」
と。
先生は戦争をしらない私たちに
「狂気」とはなにか
「戦い抜く」とはなにか
「守る」とはなにか
を作品を通して語っておられました。
(亡くなられ、ワイドショーなどの特集で先生の言葉、切り取りにされていたのが残念です)

私はいつも通勤時いろんなものを見聞きします。
ユーチューバー系の動画、邦楽、洋楽、サントラ、アニソン、ヒーリング系
その日の気分です。
ある日の通勤時、なぜか、ふと思いました。
「もし、松本先生に何かあっても、動揺せず、冷静に受け止めよう」と。
なぜそう思ったのか、未だにわかりません。その日からずっと
「銀河鉄道は遥かなり」
ひたすらリピートで聴きながら通勤しました。
数日後、先生の訃報、知ったのは同居人からのメール、
仕事中のちょっとしたプチ休憩の時でした。
涙あふれ、身体震え、・・・でも…毎日思って通勤していた事、
「もし、松本先生に何かあっても、動揺せず、冷静に受け止めよう」
そんな時に限って、残業でしたが、顔を作り直ししれっとこなして帰宅。
そして、知りました。亡くなられた日は、あのふと思って
「銀河鉄道は遥かなり」をリピートはじめた日だったことを。
その日は追悼ラジオを聴きながら、泣くだけ泣いて
翌日も仕事でしたが、
お酒の力を借りて眠りにつきました。

先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
今から思えばめちゃくちゃな環境の中で
「明日の私は今日より強い」とか
「負けるとわかっていても闘わなければならない時がある」とか
「いまにみていろ!」とか思ってて
「夢や希望を抱いていこう」
「やっぱり、ロマンだぜ~」
「こんなことなんてことないわ、広大な宇宙に比べたら」

と思い、
くじけそうになったら、
鉄郎も頑張ってるし、デスラーはなんか見てて飽きないし
ハーロックは色々ツッコミ所満載だし、エメラルダスは素敵だし
トチローは本当にカッコイイし、弥生さんはコワイし(笑)
気が付けばいつもそんな松本作品に助けられてきた人生です。
先程の「桜花」「マリンスノー」といった
知らない言葉も先生の作品でいっぱい覚えました。
これからも、まだまだ気づきがあるのでしょう。
先生の作品を見返すたびに・・・。

訃報が流れてさらに1週間後、母からの着信記録。
気づいたのが、かなり遅い時間だったので
「何かあったの!」と慌ててかけたら、
「あ、あの・・・だ、大丈夫?・・ほら松本零士さんお亡くなりになったから・・・もう電話ではなせるかなと・・・あなたにとって人生で
特別な人だから・・」
子供の頃からの私を一番身近にみていた母のタイミングは
ピッタリなものでした。
「ちょうど、やっと冷静になれたかな」
そう言って、また思い出話になりました。

「松本零士先生、ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。」
そして・・・

遠く時の輪の接するところで、
先生や先生の作品と出会って、感動して、感銘を受けて
また尊敬する人の欄に「松本零士先生」と書いて
宇宙に想いを馳せたいと、思います。

















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