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5月月報

目の前のことに必死すぎて気づいたら数か月ぶりの月報。
アウトプットしてなくてお腹いっぱいなので、自分用にメモ。

1.ファッション

まず、靴に託す気持ちがガラッと変わった。

これまでは、ハイヒールが正義→(妥協して)フラットシューズ・その中でも気に入ったものを履こう!という()つきのマインドだったのだけど、今靴箱にあるフラットシューズとはそろそろ別れ時だ。
ときめかなくなったし、活躍してくれた結果、見た目も大分傷んでいる。

このフラットシューズたちを履いて分かったのは、
「私は意外とシンプルな靴が好きだ」
「きちんとして見られたい気持ちを靴に託している」
この2点だ。

コンセプトには”シンプル”を上げるくらいシンプルが好きだけど、自分が好きなシンプルは「毒にも邪魔にもならない」けど「凛としている」というか、想像以上に見た目は「普通の靴」を欲しがっていたことにやっと気づいた。

反動か、季節もののサンダルは派手なものが欲しいこともよくわかった。

これは実際に試着の旅やお取り寄せやネット検索をして、私の欲しい靴がない!→海外のサイトにはある、みたいなのを繰り返して、わかった。
海外で人気の方は圧倒的にシンプル。

それゆえ、まだ代わりとなるフラットシューズを見つけられておらず、冒頭の2足は下駄箱で鎮座している。

このフラットシューズをよく履いた1番最後の時期は今年の冬で、春からはほぼスニーカーを履いていた。

なんなら会社にもスニーカーで行った。

私がきちんとして見られたいのは職場なはずなのに、スニーカーを履いても私の(他者からの)評価は何も変わらないんだ、ということを実感した。

当たり前だけど当たり前じゃないっていうか、世間にはどっちの意見もあるし。

”仕事で評価されるためにハイヒールやそれに準ずる(と思っているのは私だけど)フラットシューズを履かなければいけない”と思い込んでいた。
無意識にもう深層の中にねじこまれていた。

いい腕時計が仕事ができる人の証明ではないように、それはもうよくわかっているんだけど、自分の自信のなさや防御のために必要な靴だった。

今は、面白いくらい「きちんとして見える」ことに興味がない。

それは、ガワだけを整えても(使い方あってる?)意味がない、ということをぐぐぐぐぐっと体験したり、周りのそういう場面に出くわしたりして、もっとこう本心から湧き出るものを大事にしたい、と思うようになった。

だからってファッションや見た目を整えることを馬鹿にしているとかではなくて。

これまで「人にこう見られたいな。こう見られると楽だな。」という意識だったけど、「自分が心地いい物をまといたい。」と思うようになった。

その一方で、腕時計に関してはまだまだ欲まみれ。

私は某ブランドの鉄板の腕時計を手放している。
これは自問自答ファッションに出会うもっと前のことで。
今でも値上りしていて、もう一度買いなおそうかな?と思うこともある。

やっぱりデザインは好きだったから。

だけど、重くて。

そして、私がその腕時計をつけていた一番の理由は、きっと「ステイタス」だったから。

今もまた欲しいなと頭をよぎるときに、
「本当に欲しいのはその腕時計じゃなくて、それを買えるということをアピールしたいだけじゃないの?欲しいのは”できる風”じゃなくて、”あなたできるね””これからもこの職場でよろしくね”という評価と居場所じゃないの?」
と自信がなくて、買いなおしていない。

デザインは好きだし、買えるとしたら今がぎりぎりだな、と思う。

でもきっと、私が欲しいのは腕時計そのものじゃないんだ、というところでぐるぐる穴を掘っている。


2.ファッションとの向き合い方と生き方

私は自分の外見がネガティブな意味で気にならないくらいに熱中しているものがあるときの自分が好きだ。

以前「カシミアのニットに穴が開いても気にならないくらい目の前のことに夢中な職人」的なのを何かの媒体で読んで、憧れているのはこういうことなのだ、と思った。

その職人に匹敵するコンセプトが、料理研究家だったりピラティスインストラクターだったりするのだけど、しっくりこない。

料理は毎日作っているし、ピラティスも昔のテキストを引っ張り出してきてほそぼそと家でやったり、1か月に1回はパーソナルレッスンに通っている。

でもそれが、「カシミアのニットに穴が開いても気にならないくらいの何か」なのか、と言われると、もっと濃度が高いことを求めているのかも。
単にもっと行動せよ!ということなのか。

スタイリストさんの本で
「栗原はるみさんがボーダーを着ていてもおしゃれと言われるのは、栗原さん自身が唯一無二だから。流行が一般に浸透して、だれでも着ていて目に触れているものはおしゃれじゃない。一般の人が今はもう当たり前になったボーダーを着てもおしゃれになるのは難しい」
的なことが書いてあって、多分ここに引っかかっている。

料理研究家としてもピラティスインストラクターとしても(どちらもファッションコンセプトで、私は実際にその仕事をしていない)、その2つの分野で私はただの一般人・凡々凡人の凡だ。

きっと私は、自己受容とか自信とかそういうものを求めていて、なおかつ、それが他者から見てもユニークでかつ好ましい(悪目立ちじゃなくて)と思われたい、と思っているんだ!

為末大さんのnoteに、うろ覚えだけど、
「人が言うことを聞いてくれないとき、単に好かれていないだけかもよ?」
的なことが書いてあった。

私のなりたいには「きれい」が入っている。
理由は「説得力があるから」なのだけど、確かに見た目がきれいなら第一印象もよく、綺麗な人は能力が高いというバイアスがかかりやすいという。

これまで私が社会に出て「同じことを言っているのになんで私が言ったときはスルーだったんだろう?」と思うとき、私は「見た目のせいだ」と思ってきたけど、きっとそれだけじゃない。

もっと人に好かれたいなーと思う。
それは「便利」とか「優しい」とかじゃなくて。

3.仕事のこと

4月まで大分病んでいた。
再度交渉してやっと4月に聞き入れられた。
長い数か月、半年だった。

その反動なのか、今月はとても低調だった。

そしてせっかく先月わかってもらえたと思っていたことが、全くの暖簾に腕押しということが先日わかって、ショックすぎた。

こんなコミュニケーションじゃだめだ、と思う。

つまり、私の意見がスルーされるのは「私が嫌われているからじゃないの?」とちょっとだけ考えた。(実際には立場や社風の影響が大きいけど)

振り返ってみれば、何か前進したとき=いい仕事や関係性に巡り合ったときは、自分が頑張ったからじゃなくて、いいご縁が運んできてくれた気がする。

そしてそのいいご縁は、私が見返りを期待して結んだとかではなくて、自然と発生していた。

私は自然体で、予想外の申し出で。

きっとそのときの私は、
感じが良かったんだと思う。

だから、最近、無理をしても感じの良い私を作ることが必要なのかな?と思っている。

注:できればとっくにしているので、結局、私は”無理して感じよく振舞い続けること”ができないのだ、と思う。
無理しなくて感じよくいられる環境はどういうところなのか?をひたすら考えている。
そして疲れた笑。

子どもみたいなことを言うけど、私は建前が嫌い。
自分の本音は言いたい。
でも他者の本音に触れることは怖い。

仕事ならば、もうおべんちゃらはやめて、腹割って話しませんか?
これ限りの仕事じゃないんで一緒にちゃんと設計しましょうよ!
って話をしたい。
それができる人とはうまくいく。
そして仕事ならば、役割の話ならば傷つかないと思ってるからそれができる。

海外のチームとの方がコミュニケーションがうまくいっているね、とフィードバックを受けた。
そう思われているのはありがたいけど、実際には、私の言語能力は拙いので、正直に話すしかなくて、だから伝わっているのではないか、と思う。

日本人とのやりとりにありがちなまどろっこしいことを英語で言えないし、最初にYES・NO&なぜなら・・・という言い方がOKとされているし。

日本語だとNO&なぜならと言った途端に「できないってつっぱねるのはよくないよ」とかなんかとか言われて、しょっぱなからいい印象をもってもらえない。

最近気づいたのは、私は、仕事の中身よりも、あなたのところで吸収して!っていう至急業務が嫌い・苦手・イライラしてしまう。

特例業務みたいなのは好きだけど、先を見通すスキルは高めゆえ、最初から分かっているトラブルをはじめの方に注意喚起しているのに、そこに逆に甘えてくる人がいることに嫌悪感がある。
そういう人って決まってこちらにリスペクトもないし、そんな情報あった?とわざとなのかほんとなのか区別がつかないことを言ってくる。

余談だが、ハラスメントもそう。
「あなたには学歴や分かりやすいスキルがない」と言った人本人が「そんなこと誰が言うの?今じゃハラスメントだよね。」と言ってくる。

そう言われたとき、「あなたですよ。」とは言えなくて、そこも悔しい。
なんていうの、それは許したんじゃなくて、絶望しちゃったというか。こういうやり方されるんだ、っていう感じだった。

だけど、全体最適化からはずれても、個別対応した人の方が評価されているので、そこはぐっと抑えて(本当は個人的には、全体最適化が大事だと思っている。だってそこができていないからみんなこんなに疲弊しているのに。)、建前で好かれる方がいいのかしら(きっとその方がお得である)…と悩んでいる。

昇格だけを考えたらきっとそう。
ただ、そうやっていろんな人が個々で握った結果、もう少し大きな単位でみたら困っている(ように私には見える)ので、根本的でより多くの人のいいね!を引き出す方法ではないと思う。

ということでぐるぐるしている。

一方で、私は役割を全うしよう!という意識が強いので、もし方針がXXなら、この方針を守るようにコミュニケーションをとりがちだ。
守るためなら断りもする。

そしてその方針を自分で変更できるほどの権限や職務ではない。
ただ、方針転換てパワーバランスとそのときどきだから、それを決める人とのコミュニケーションがうまくいかないと、自分だけ責任をふっかけられてしまう恐れがある。それは避けたい。
実際にポジション以上に責任を負わされてる?押し付けられてる感はある。

ベストだって決めた方針がそうじゃないなら、土台がゆらぐっていうか。

本音で話せないことに命を懸ける必要があるの?と思うと、ない。

私の中で自分の真ん中にあるものが仕事から変わってきたと思う。

報われない&報われたいと思っていたんだなということに二重で驚いている。

だとすると、栗原さん的な私が唯一無二になれることと、周りに好かれるようなコミュニケーションてなんだろう?

*今回は考えすぎなのでこの辺で終わり!



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