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どこに根をおろすのか

最近インプットしている本は著者や主人公が不器用な人のものが多い。
※もちろん主観で実際にどうかは知らない

昔から本が好きな時点でその傾向はあるんだけど。
クラスの中心にいるというよりは、はたから眺めてるみたいな。

私が悩んでるのを知ってる同僚から
・感受性豊か
・共感力高い
※よくも悪くも
・自己卑下しなくていいと思う
と言われ、それはありがたい反面、

私が完璧主義や白黒思考の傾向があったり
自分や他人への期待が高めだったりするからなのか、それとも本当に世の中のシステムに適合してかいのか、ちょっとわからなくなっている。

自己卑下してると、その方向で
もう私はだめなんだ、というネガティブな思考スパイラルにはまっていくので、例えば、リセット症候群とか急な退職とか変な方向に動いてしまうと思う。

思考が行動を作るって本当だと思うので。

今会社の人や組織を信用できなくなってるので、
ゼロヒャクで、もういいです、と言ってしまいそうなのを堪えている。

だって、もういいわけないから。

でも、こうやって仕事の壁?人間関係の壁?にぶつかるときに、できたらもうちょっと家庭のことに時間も気持ちも割きたいと思ってて、そのタイミングなのか?(不妊治療頑張る的な)とも、揺れている。

昔のnoteで、ピラティスは好きだけどレッスンのあとは自分が満ちているような、何でもできる気がして、でもその使い道がないし、楽しさがじわじわと自分にしかわからないからさみしい、というようなことを書いた。

でも今必要なのはまさにこれじゃない?と思い始めてる。

自分が自分のままでいい、と思えること。

それは頑張らない・サボりではなく、頑張るためにも必要な根っこで。

自分の不調の原因を、側彎症や自律神経に紐づけてしまうことが多い。

以前、トレーナーから「側彎症の人は逃走神経がオンになってるから、集中力がない」(オランダ語→英語→日本語からの意訳)的なことを言ってて、それは悪い意味ではなく、集中しにくいんだよね、的なちょっとした言葉だったのだけど。

同じように「疲れやすい」というのも、そうやってケアが必要な身体であるよな、と思うと同時に、そこへの悔しさみたいなのもあるから、どっぷりと時間やお金をかけたり、浸ることに抵抗もあって。

ケアが終わって安定すると、健康な体の持ち主が楽しむようなもの、側彎症なんて存在しませんよ〜みたいな感じで色々やってみるんだけど、やっぱりピラティスから離れると、自分の根っこがどこかに行ってしまうのかも。

それに、いい生徒にはなれるかもしれないけど、いい先生になる自信はないし。

今の状況からして、生徒として続けて自分の調子をあげるだけでも十分だと思うんだけど。
それこそやるなら、トレーナーにならなきゃだめだみたいな白黒思考?理想高すぎくん?

今月は自分を1番後回しにしていたなって感覚があって、意識的に取り戻してるんだけど、世の中と相性悪いんだよな。

まだ人生長いんだから〜!って人生の先輩が言うことが、本当に一度もそう思ったことがなくて。

なんで生きづらいっていうか、うまく生きられないんだろう。

小さい頃、母が精神的に脆くて早く大人にならざるを得なかった、というのはあると思うけど、今母を責める気持ちはなくて(20代で散々言い合った)。

何を手放して何を取り戻すべきなのか、わからない。

それとも今は頭で考えすぎるだけなのか、
しんどいって気持ちを大事にしていいのか、
でもそれを軸にしたら後悔するんじゃないのか、
わからなくなっている。

昨日何食べた?に癒されながらも(シーズン2は放送時間が遅すぎて見れてない)、もうちょっと強い何かが必要なのかも。

ワークショップやカウンセリング、旅など、色々予定は入れているものの、1日1日を乗り切るのが大変すぎる!

この生きづらい感覚ってなんなんだろ。
でも結局カウンセリングでも、「最終的にうまくいってるし、トラブルが起きてないから、もっと自分の気持ちを早めに伝えるということが大事じゃないですか?仕事だって、出世したいならともかく、今プライベートも大事な時期だから、話半分で流したっていいんですよ。」と言われて、まあ言われてみたら最悪の事態にはなってないけど、私が耐えられるキャパが少ないということなのかなー。

昔ってもっとシンプルで単純な子どもだったんだけどな。







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