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2024年1月月報(思考)

以下、映画や本のネタバレを含みます。


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1.映画 PERFECT DAYS

「僧侶」というキーワードにぐっと来た。
そして私の中では、ジブリの「天空の城ラピュタ」のシータにもつながっている。
「清貧」っていうときれいにまとめすぎな気がして、適切な言葉が私の中になく、何に惹かれたのかを言葉にできなくてもどかしい。

ふと、ブッタも映画の主人公もシータも、「特権的な階級の出身」だと気づく。
でも決して、彼らがその地位を自らor意図せずに捨ててささやかな幸せに気づく、ということに共感しているわけではない。

といいつつ、いくら権力やお金、現代での身分てきなものを持っていても、「だから幸せ」になれるわけではないんだ、ということを最近つくづく思うし、考えさせられる場面が多い。

人が「嬉しい」「幸せ」と思えることってもっとシンプルなんじゃないか、と思う。そこに「比較」が入ってくると途端に「不幸(な気がする)」が近寄ってくるのかも。

ただ「自分の幸せ」はやっぱりその人それぞれなので、「私は何に幸せを感じるのか」ということをめっちゃくちゃ分解して自分で理解しておくしかないなって思う。

そのときにやっぱり、もぐら活動もとい自問自答ファッションで鍛えているような「自分は今何を求めているんだっけ?何が好きなんだっけ?どうなりたいの?何を実現したいの?」って「自分で自分のことを知る」のが第一歩だよなって思う。

身に覚えがあるのだが、「誰かの幸せの基準」を「自分の幸せ」だと思い込んでそこに向かって生きた末、仮にそれを得ても幸せを感じられないとか、ほんと人生の無駄使いだって後悔もあるのだから。

2.本
今月は数冊読んだのだが、その中で発見があったのは『しあわせのねだん』角田光代さんの著書。

共感したことは以下の部分で。

そういうとき、私がもっとも恐怖するのが、なんにもお金を使わなくって、貯金額だけが異様に高い、ということだ。三十代後半だったその人は、まるで自己紹介をするみたいに、自分には貯金がいくらある、と平気で(というより得意げに)言っていた。映画も見ず、酒も飲まず、外食もせず、旅行もせず、貯めたお金なんだなとすぐにわかった。だってその人、中身がなんにもなかったのだ。
-略-
ゆたかであるというのは、お金がいくらある、ということではないのだ、と、その人を見て知った。そういう意味で、まずしいまま年齢を重ねることが、私はとてもおそろしい。

『幸せのねだん』

自分には分不相応なお金を衝動的につかうことで、あのとき、私は自分の気持ちのバランスを保とうとしていたんだなと思う。

お金が何をしてくれて、何をしてくれないのか、二十代のときよりはるかに学んでいて、そのことにちょっと安堵もする。

『幸せのねだん』

なんでも「コスパ」で評価されるのが好きじゃないタイプで、まあそういう人からしたら私は要領が悪い。
でも、自分が良かれと思って買ったものについて、いちいち「高い」とか「安い」とか、「もっとお得にできるよ」とか言われるのは嫌だ、というのは昔から自分の中にある感覚で。

今はネットのセールも使うのだけど、「お店で綺麗にディスプレイしてあって、買うときも丁寧に接客してもらってラッピングしてもらう」という体験を、どこかで「意味のあるもの」として信じている。
斎藤薫さんが雑誌のエッセイで書かれていて、まあ雑誌はフィクションを売る場所でもあるけど、やっぱり今でも信じているところはある。

自分にとってどこかで買ってもあまり意味をもたないものや消耗品はワゴンセールだって買ったりするのだけど。(旦那の仕事用靴下はワゴンセールで買ったし、もって半年・2~3か月で入替になるキッチン用の手拭きタオルもそうした。)

以前、お金を貯めている人が何を楽しみにしているのか気になると書いたのだけど、きっと私自身が「私からファッションや読書をとったら何が残るだろう」ということが怖かったのだと思う。

同時に、その当時のファッション=糖衣だったので、「このままファッションにお金を費やしていも自分の人生は生きられない」みたいな気持ちがあった。

で今、正露丸が見えたところで、「やっぱりファッションと完全に分かれるのはむりだ」となっている。

一方で、「私にとっての適正なお金の使い道・金額」はまだまだ修行中だ。

こればっかりは、身銭を切らないと分からないことだから、これまでに使った金額を後悔することはない。だってそのときは欲しかったんだし。
ここで我慢ばかりしていたら、どかーんと爆発するでしょうよ。

ただ、自分が「見栄」で買ったものは、実際は好きでもなければ、飽きるもの早くて、手放したり、なんか違うな~と出番がすぐになくなることは分かった。そういうときは、まさに「分不相応なお金を衝動的に」使っていたなと思う。

それらが分かってもなお「修行中」と書いたのは、やっぱり自分がいくらの何を買うなら適切なんだろう、ということに確信がもてなくて。

これは『正しい家計管理』(長期プラン編も購読した)の読者投稿の欄に同じことを書いている人がいて、それってつまり「自分は将来いくら必要になるのかを把握していないからじゃない?」って書いてあって。

今その「長期プラン編」のワークをやっているところ。

そして、自分の「買ってもいい金額の基準」が人より厳しいな、ということに気づいた。

これは「(確実に)厳しすぎない?」と思う一方で、気持ちの面で「不安」が上回っているので、「じゃあどこを無駄だと思っているの?」と考えて、ブロガーのあかりさんという方の「1日2000円生活」を始めてみた。

まだ始めたばかりなのだけど、正直、きつい。少ない。
スーパーで「2000円」と思うと、かごに入れられない(=今日は買えない)商品がちらほら。とりあえず1か月続けてみるつもり。

別に今困っているわけではないし、使いすぎている気もしていないけど、将来の長期プランを書いてみたときに、今現役のうちに「生活水準を上げない(むしろ下げる)・生活コストを抑えた暮らし」を経験しときたいなって思ったから。「財布の中の有り金(←こういう言い方は品がないけど、他に言い方がない…。)で生活する」という癖をつけたいと思ってて。

両親には「かわいそう」と言われたのだけど、私は今現役で働いていて、切羽詰まっていないからこそ、大真面目で「今だ」とトライしている。

文化的なことを取り入れて暮らしたい気持ちと、現実的な家計・老後と、ゆらゆら行ったり来たりした1月でした。
早くあったかくなって思いっきり太陽を浴びたい。
(日照時間の問題で冬はあんまり調子よくなく、はやく明るくなってほしい。切実。)













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