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洗練と実家感のあいだ、その1

引っ越しやリフォームで、家のことを考える機会が増えた。

私は「洗練された雰囲気」が好きだ。
自分を棚にあげておくが、ファッションやインテリアや観劇や文化も含め、「ある世界観をもとに作り上げられたもの」が好き。

私が「自然・ナチュラル」と思っていた「Theory」も「洗練・都会的」に当てはまるらしい。
言葉として「都会」の対義語は「田舎」だけど、「自然・ナチュラル」=「田舎」とは思えず。

私が想像する「自然・ナチュラル」は、場所で言えばきっとオーガニックブランドのジュリークのオーストラリアの農園や、スリランカのヘリタンスカンダマラで、「人工的」だ。
*どちらも行ったことはなく、素敵だな~いつか行きたいな~と眺めている。

上2つは、「手をかけすぎていない田舎」ではなく、「世界観をぎゅっと凝縮した上で緑がもさもさしたところに作った」もの。
*ジュリークは原料となる植物を育てているので、卵が先が鶏が先がと言う感じもするけど、結局広報の役割を担っている場所なら、今は上記のように言えるのではないか、と思う。

私は「自然」の中で過ごしたいけど、ワイルドな自然の中に放り出されて暮らす自信はなく、「ある程度の人工的な自然の中」で過ごしたい。
山小屋も好きだけれど、結局は「自然の中で人が過ごすことが想定されている場所」で過ごしたい。

ただ、「ラグジュアリー」とは少し違って、そこに「生活の中の美」みたいなのが欲しい。
物で言えば、「ガラスケースに覆われたうっとりするような宝飾品」より「手に取れる様式美」が好きで、「民芸品」がそれにあたる。

これを生活に落とし込もうとすると、なるべく緑=自然のある環境で、気に入ったもの(自分の好きな世界観のもの=民芸品など)を数少なく持つ(ホテルや旅館は寝泊まりはするけど、生活する際のこまごました”業務用洗剤”などは目につかないから落ち着くのだと思う)ことで叶えられそう。

自然とそこに向かって、自分の持ち物を減らし(私にとっては、自問自答ファッションも結果的に持ち物を減らすことになった。お気に入りを認識することにもつながった。私の場合、好きで集めたのに、集めたものをよく観察して名前をつけてやっと、これが好きなんだ!と認識できる。断捨離のやましだひでこさん、こんまりさん、地曳いく子さんらの著書も一役買ってくれた)、好きなインテリアの方向をぐっと定め(憧れ)、現実と向き合い(諸々の制約込み)、その間をさぐって、今のインテリアに至る。

大層に「インテリア」と言えるものではないけれども、自分としては満足している。

私が特に気にしていたのは、床と照明と木目のトーン。
学生時代からインテリア雑誌やブランドの本を眺めるのが好きで、それらを引っ張り出して眺めたら、共通点は”床が素敵”だった。

あとは、大きな机が好きなのと、椅子に憧れがあったので、ダイニングテーブルと椅子は自分の趣味を優先させてもらった。

椅子は、ファッションでいえば「靴」だと思う。

どちらも、長時間使う・工学的なところがあり、合わないものだと体が痛くなる・実用性とデザイン性のバランスが重要・値段の幅が広い・コアなファンを持つデザイナーがいる等。

一番欲しいものは、数脚そろえるには高すぎる・大きすぎるため我が家のダイニングには難しく、いつか自分のために1脚だけ買おうと思っている。

なのでその次に雰囲気等を含めていいなと思うものを見つけ、しかしこれも予算オーバー(耐久性が若干弱いイメージだったのでここまで予算をかけるのはどうかな?と尻込み。)と思っていたら、新品を見に行った翌日に、初めてのぞいたアンティーク家具店で、軒先にあるのを発見!
数脚揃っていて状態もきれい。
お店の人に聞くと「昨日入荷しましたよ!」と言うので、これはもう買わない理由がなく、購入。

来客時にはもう少し数が必要だったので、そこは色と値段で調整。
*お客様が来たときはいい方の椅子を使ってもらっているけど、普段使いしているのでとても気分がいい。好き!

ちなみに、失敗したなと思うところは、トレイの木目の色と床。

トイレの内装にたどり着くころには、疲れ果てて思考停止してしまい、木の色は濃い方にしたらよかったなと後悔している。

具体的には、ドアの色と収納などの木の色が合ってなくて。

収納の木は、ドアがついていない状態で選んだので、開けたときはいいのだが、自分が座って用を足すときに「あっ、色違うな。(時すでに遅し)」と気づいた。

家は自分が「過ごす」場所なので、自分がずっとこの空間にいるとどうか考えた方がいい、と実感した出来事だった。

文字にすると「そんなことわかってる」けど、これがそうもいかなくて。

ショールームでも工事中の家を見る状態というのは、リビングにしても何にしても、ドアを開けた状態=お客様ポジションの視線で見てしまいがちだからだ。

ショールームで多少座らせてもらうことができても、どこからの視線大事にするか意識してないと、チェックした気になってしまう。

自宅だから、自分は圧倒的にお迎えする側であって、むしろ椅子やソファに座っている状態でイメージした方がいい。

トイレにたどり着く前に疲れてしまったのは、それまでに壁や床のひたすら分厚い数センチ四方くらいのサンプルを見続けたためだ。

もちろん楽しい。

ただ、サンプルとイメージ図を見て何度も自分の家に当てはめて想像しなおすことに慣れていなくて、それが大変だった。

考えた割に、The普通の主張しない壁にした笑。

だから、ちょっと疲れた…と思ったら一度立ち止まって、その場で判断しないことが大事だ。

工事日程もあるのでもちろん無理は言えないけど、せめて「一晩考えさせてください!明朝ご連絡してもいいですか?」とか言えばよかった。

こんなに書いたけど、家がヘリタンスカンダラマやジュリーク農園のようにになったわけではないし、見た目的にこだわりの住宅とぱっとわかるわけでもなく、洗練されてもいない。
試行錯誤の結果なので、満足している。

これを頑張れたのは自問自答ファッションで先にファッションで経験したからだと思う。

長くなったのでその2へ。







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