見出し画像

9月25日水曜日 

平日は家を7時に出るというマイルール。
今日は仕事の父と家を出た。

この間親に買ってもらった白いトップスを初めて着た。大きめの襟にレースのような穴が空いていて、首元と袖に付いている細めの紐のリボンは可愛さよりもカジュアルさを演出してくれた。初めての服は着るだけでテンション上がる。

教室に向かっている時、あの彼 が私の前を歩いていた。
丁寧にアイロンがかった長めのカーディガンを優美に揺らして。
授業が被っていない日も、絶対どこかで出会う。なぜ。

「あ、  くんじゃん」

今日は私から挨拶しようと思って、後ろ姿に声をかけた。
さっきから前に居るのは知ってたけれど、声をかけるか数秒迷って偶然を装った。

おはようございます。

彼は返事をした後、歩くスピードが遅くなった。
私は角で曲がる予定だったのでこれ以上会話が生まれることはなかったけれど、昨日の“アレ”が無かったらその場で立ち止まって会話を続けていた気がする。
私は甘えない。彼の優しさに漬け込んではいけない。それで安心したくない。
たとえゆったりと会話ができる猶予を向こうが差し出したとしても。

これが自分の本心じゃないのは分かっている。
けれど終わりのない海を一生泳いでいける自信はない。
彼が、もし、もし私を好きになってくれるなら。遠い海から波を私の岸へ打ちつけてくれるなら。引き波に私は付いていくと思う。
いつ来てもいいようにどこかで待っている。これからもずっと。

お昼、母が持たせてくれたおにぎりは水っぽくて歯にお米がくっついて食べにくかった。
まずは作ってくれた母に感謝しなきゃいけないのに。


後期のスポーツの授業は縄跳びだった。久しぶりに縄を持った。
大縄で、見ず知らずの方と列になって何度も飛んだ。
途中、同じ人が縄のリズムに乗れず、何度もつっかえた。先生はその子に縄を回すように言ったが、その子は授業の途中で帰ってしまった。自分のせいで流れを止めてしまった時、申し訳なさと恥ずかしさで居た堪れなくなる気持ちはとても分かる。自分の失敗が迷惑行為だと思ってしまう。そんな感情が伴う大縄って、これだから嫌だ。
来週は卓球だけど、来るのかな。

スポーツが終わった後、売店でお菓子を見ていたら板チョコアイスのホワイトバージョンが売っていて、迷わず買った。一緒に来た友達は、チョコミント。
食堂でスポーツが終わった人たちがそれぞれのグループでアイスを食べていた。
側から見たら、汗を流しながらアイスを頬張る集団のようで、可笑しかった。
その集団の仲間になるように椅子に腰を下ろした。
アイス片手にぼんやり遠方を眺めていたら、 あの彼 のカバンを見つけてしまった。視線を彼に向けると、彼と目が合った。彼は目をのろっと動かして、元々私なんて見ていなかったかのようにゆっくりと上の方に視線を向けた。どこ見てんねん。
私の視線の先を辿ったチョコミントの友達が、どこ見てんねん。って呟いた。

今日は生まれて初めて「初めてチョコミントアイスを食べた日」。です。
私がチョコミントを食べたことがないとぼやいたら、友達が一口くれた。
初めての瞬間を見れて嬉しい、と大きな一口を笑顔で迷わずくれた。大きめの一口をくれたことよりも、食べる?と提案してくれたことが何よりも嬉しかった。幸せになってほしい。その時、板チョコアイス居る?と言う気が回らなくて後から気づいた自分にがっかりした。
ミントの主張が強いものだとばかり思っていたのでびっくりした。
口溶けさっぱりで、変に舌に味が残らない。
ただ口に入れた瞬間の歯磨き粉のような香りに、2度目はないなと悟った。まだまだ子供なのかもしれない。初めてのチョコミントアイスの感想は「思ったよりイケた」だった。

帰りの電車、自分の想いを実直に綴りながら、彩り豊かなエッセイを書かれる方からフォローをいただいて嬉しくなった。
私には持ち合わせていないことばや文章、どこで出会ったんだと聞きたくなるような言い回し。いつも私の知らないどこかに連れてってくださる。
noteで繋がった大好きな方々の投稿は、私の生きがいです。ありがとう。

今年初めてどんぐりを見つけた!
幼稚園の頃、どんぐりを沢山集めて、どんぐり共和国に寄付した記憶がある。大人になったらそのどんぐりは立派な木になるよ、と言われたけど年輪的に私の思う立派な木には多分まだなっていないと思う。どこかで大きくなってればいいな。


調べてみたらどんぐり銀行だった。

どんぐりって美味しそう。


小学生の頃一度だけ食べたどんぐりを思い出して口の中が渋くなった。


leben

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?