ロシャオヘイ戦記にとにかく心を奪われた話

先月、ロシャオヘイ戦記という猫の妖精の映画をみた。

この映画の事を知ったのは鬼滅の刃を見に行った際の予告で、それまでロシャオヘイ戦記の一切を知らなかった私は、「なんだこのかわいい猫の映画は!?全く知らなかったんだけど…猫好きの友達も絶対みたいだろうなとりあえず行こう」と思いながら煉獄さんの登場を待って頭の中は煉獄さんでいっぱいになった。その後もう一度鬼滅を見に行った際にも全く同じことを思って、そして数日が経っていた。

いつの間にか公開時期になっていて、そろそろ友人に会いたいとおもって連絡を取っていたら、そういえばあの猫の映画公開されているからそのうち行こうといわれて、忘れていたことに気が付きすぐにでも行かせてくれとなった。よく行く映画館なので、各々ポイントカードを持っていいるため各自で事前にチケット購入をしたが、私はこの時スマホの画面に映った【吹替】の文字に驚いたのだ。もしかしたら予告の際にそんな情報は出ていたのかもしれないが、猫ちゃんかわいい~と全く見えていなかったのであろうと推測される。この時初めて日本の映画でない事を知った。ちなみに余り気にならなかったけど、はじめての中国アニメ映画だった。

そんなこんなで平日レイトショーにて鑑賞したが、もう、兎に角、本当に兎に角最高で、猫好き猫狂いの私にっては毎秒が至極の時間だった。あまりにも可愛い。あまりにも猫。あまりにも癒される…ただそれだけで涙が出そうな冒頭のシーン。でも驚くことに、ただ可愛いだけの映画ではなかったのだ。

そうしてもう一度見たいが為に足を運ぶこと数回…ほぼ毎日羅小黒戦記について考える日々が幕を開けた。


ここからはただ思った感想をつらつら語らせて欲しい。まず冒頭から魅せられるシャオヘイの可愛さたるや…初見でただただ可愛すぎてすぐ泣いた。

ムゲンの「善悪がわかるか」という問いかけはものすごくシンプルで、だからこそ私にはとても難しく、もしムゲンがあの日フーシーを捕えに来なかったら(字幕では任務となってたらしい)、フーシーはシャオヘイと仲間たちと、ゆっくりと日々を過ごしながら妖精たちの世界を取り戻す計画を進めていくうちに、まぁこのままでも良いかってなったかもしれないんじゃないかって辛くなったりもした。 でもそれは、このままでは追いやられて居場所のない妖精たちにとっての終わらない苦痛の日々が伸びていくだけだったのかもしれないとも思う。人間とうまくやれない妖精たちはたくさんいたんだろうね。シャオヘイがまたまえみたいな場所を探してみんなで暮らそうよって言ったとき、もう何度もそう試みて挫けてを繰り返して、だからこうなってしまったんだなぁって事が分かって悲しさは増した。だからこそフーシーは決意したんだろうな。タイミングって何事もあるんだよなと苦しくなった。

最後にシャオヘイがムゲンに聞いた「フーシーは悪いやつだったの?」という問いかけに対しての答えが本当にすべてなんだろうと思っていて、この物語がいかに優しいかを表していると思う。

この物語はどこをとっても、他人の考えを強く否定したりはしていない。ムゲンの仲間達が初めて出てくる洞窟でのお茶のシーンでも、色んな考えを持った者同士がすごく自然に共存していて、好き嫌いを押し付けるものは居ない。ムゲンも自分にとってのフーシーに対する気持ちと、シャオヘイがフーシーに感じている気持ちを混同してはいない。様々な考え方を持つ事は自由で、それは共存出来ない理由にはならないと伝えてくれてる気がして、あったかくて、何度も触れたくなってしまう。映画の公開終わらないで欲しい……と切実に願ってしまう……。

たった半日、私たちの目の前で繰り広げられた光景の他にも物語があって、あの時間、間違いなくシャオヘイはとっても幸せで離島組のみんなともっと居たかったよなぁ。師匠が憎いなんて事は一切なくっても、本当にみんなと暮らしたかったなあって純粋に思ってしまうよね。それでも師匠の前では悟られまいとするシャオヘイも愛おしいし数百年生きてる師匠が新鮮に感じるこれからの生活も愛おしいしとにかくみんな幸せになってか物語であって欲しいね。

個人的にはロジュ君のことを考えるといてもたってもいられないので…どうか…………いっちゃん幸せにして………。

でも名前を呼ばれなかったシューファイの切ない優しさにも胸が苦しくなるし、本当に一人一人に物語があって語りきれない…語りきれないけどnoteだから語って良いよね。また書いちゃお。

この間は初めてヘイシュウを胸にしまうシーンにきがつけたのと、中国版エンディングの後のムゲンの領域にバイクがあるのに気が付いて嬉しくなった。

あと何回映画館で見れるかな。

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