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いじめて何が楽しいんだろう

重いタイトルで始まりました。
2月24日、というか、毎年2月の第4水曜日の「ピンクシャツデー」に絡んで、3月1日まで「人との関わり」をテーマにお送りしたいと思います。

昔も今も変わらない、「いじめる・いじめられる」という関係

学生時代、社会人になってから、ママ友やご近所、サークルなどなど、人生の中でいろんな人間関係の中で生活している私たち。

その中で残念ながら「いじめ」が昔からありますし、今もなくなりません。
人間関係がある以上、避けられないのかな。

きっかけはちょっとしたこと、だったりするんですよね。

ストレスのはけ口で誰でもよかったり、嫉妬から周りを巻き込んだり、ちょっと気にくわないからという理由をいじめる理由にしたり。

そういうの、くっだらねぇなと思っています。
(↑↑口が悪すぎです)


いじめは、だいたい1人ではしていない

いじめって、だいたい1人ではしないと思うんですね。
必ず周りを巻き込む。

いじめることを正当化する、というのかな。


「だって、こいつ気に入らないんだからしょうがないんだよ、なっ」
「だって、あの子気に入らないし」

みたいに、「気に入らないアピール」に加えて、さらに、周りにNOと言わせない。
NOと言おうものなら、次の標的は自分になるかもしれないと思うと言えないよね。気持ちはわかるんだ。

「私はそう思わない」
それを言わせない【同調圧力】が働くのよね。

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ていうか、やるならタイマン張れ
っていうから「実は元ヤン疑惑」が出るんじゃないかぁ~。
(元ヤンではありません。ビーバップ世代だけど)

同意に対して【NO】じゃなければ、それは同意したことになる

でもさ、NOと言わないのって、YESなんだよね。同意しているんだよ。
何も言わなかったから、私は同意していませんなんて、そんな戯言は通用しない。

子どもの頃からそんな戯言通用しないことをしっかり言えばいいと思うんですよ。個人的に。

大人ができないのを子どもにやれ、というのは難しいよね。

そして、お子さんがどうやら周りとうまくいってないなと感じたら、家族がまずは味方になって欲しい。
いじめられる側にも原因はある場合もあるし、そもそも、いじめること自体ダメだろって思うけれど、時に親が「あなたに原因があるんじゃない?」と言ってしまうこともあるそうで・・・

「いじめられる自分がダメなんだ」

って自己嫌悪に陥り、大人にも親にも相談できないというように閉じこもってしまうと、ますますイジメを助長するだけじゃないかな、と思うのです。

NOと言える勇気・・・環境を変えにくい学生さんだとちょっと難しかったりするよね。
深刻になる前に、解決できる方法を見つけられるといいんだけど。

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自分だけが悪者になりたくない心理

いじめる人が1人でやらない理由は、簡単。

弱いから。自分だけが悪者になりたくないから。

自分だけでは何もできないし、人としてやっていいことじゃないと言われたら糾弾されるのは自分。
その矛先が向かわないようにしているだけなのよね。

と、いじめる側が悪いと取れるような書き方をしていますが、色んな考え方があるんだろうなとも思っています。

私が「いじめる人の気持ちがわからん。足を引っ張る人の気持ちがわからん。」と思うように、逆に、「気にくわないやつを気にくわないと言って非難される覚えはない、足を引っ張ってでも他人より抜きんでる気概がない方が弱い」と思っている人もいるんだろうな。いると思う。

勝負の世界やビジネスの世界で、「仲良しこよし」でいられないのもわかる。
ただ、本当に勝てる人は、足を引っ張らないし、陥れたりしないんじゃないかと。
善人か?!というよりも、そんな策略をしている暇があったら戦略を練るんだろうと、私は推測しています。

策略よりも、戦略を。

それなら、私は「戦略」を選ぶなぁ。
誰かをいじめて楽しんだり、陥れて陰で笑うということ自体に嫌悪感を感じるから、自分自身がそんな嫌悪感を感じることをしたくないんだよね。

自分がされて嫌なことは、しない。
慣習は引き継がない。
そう決めて動くのは、自分自身だね。

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インターネットの普及もあって、「匿名だから何言ってもいい。これは私の意見だから」と誹謗中傷を書き込む人、LINEグループのようにグループを組んであえてハブにしようとする人、それをする前に一呼吸置いてください。

むしゃくしゃするからストレスの捌け口に、とか
誰かをハブにすることでできる妙な連帯感、とか

それは一時的に高揚感を与えるかもしれません。

逆に同じことをされて許せる?

と、考えてみてください。





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