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天命も使命も、きっと両手に抱えられる程度のものでございましょう

占いやらスピリチュアルやらの界隈にいるとちょくちょく目にする言葉に、『天命』『使命』というものがあります。単語の定義的にはふむふむって思えても、じゃあ実際に自分の生活に落とし込んだらどうなる?うーん、難しいよね。

だって、天から受けた命よ?この世に遣わされた意味よ、使命よ。私はこのために生まれてきた!なんて、しかも個人ベースじゃなくてこの世ベースで言いきれる人がどれだけいると言うんだ。もし、「あなたは生まれながらにして優れたヒーラーですから、どうぞ世界中の人を癒やしのチカラで救ってください」って言われても、私は「え?あ、う、うん??」ってなるぞ。

例えばエジソンとかビル・ゲイツみたいな偉人だったら、本当に世界のいろいろを動かすために生まれてきたんだなぁと思えるけれども、そんな風にわかりやすく世界規模で生きた証を遺せる人なんて本当に稀なわけで。あまねく人々に天命や使命があるとしたならば、きっとそれはそんな大それたもんばかりじゃなくて、「家庭を築いて子どもを3人育て上げること」とか「キャリアを積んで経済とその分野の発展に貢献する」とか、何かそういう自分で想像できる範囲のことになると思うのだよ。

……エジソンだってビル・ゲイツだって、自分で想像できる範囲を生きてきたと思うよ!その範囲が我々凡人とはかけ離れているだけで。だっていつでも自分が中心だもの。人生ってやつは。

そうそう、「いつでも自分が中心」ってことは、天命も使命もそんな大それたもんでなくていいんだよな。自分が見ている世界の、自分が感じているものごとの、自分が想像できる範囲でできること、でいいんだ。

例えば私が生まれながらにして優れたヒーラーだったとして、「どうぞ世界中の人を癒やしのチカラで救ってください」じゃなくて「どうぞあなたの周りの人を癒やしてください」って言われたら、「はいよ!」ってなるもんね。

世界を愛で満たします、みたいなアファメーション例もよく見るけれども、ぶっちゃけああいうのはよくわからない。うまく想像できない。想像できないことを宣言したって実現できる気が一切しないから、私はその手の宣言はしないことにしている。世界が愛で満たされますように、という祈りの形でなら胸に抱くこともあろうけれど。

ひとつ確実に言えることは、「私が私を救うことでこの世のひとりは確実に救われる」よね。私という人間が、私の手で救われる。そうすれば愛が一目盛、この世に増える。

そういう意味では世界を愛で満たすお手伝いはできるんだよなぁ。そういうのが重なって少しずつ範囲を拡げていくのは想像できるから、私の天命やら使命ってのはそれくらいの規模感で設定されているはずだ。

だからもし、世界を救うだの救わないだのの話になったとしたら、「いいですよ、自分のことやってるついでに世界が救われるってんならやりましょう」って言う。自分の人生のついでに世界くらい救ったろうやないかい、くらいの感じで生きようと思う。お、大きく出たな。

だので、まずはこの凡庸な日々を賭けて自分をごりごり救っていくことにします。欲を言えば自分だけじゃない。自分と、とても大切な人。人たち。そういうのをゴリッと!芋掘りのように!芋づる式で!今回はそういう人生にしてやろうと思う。

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