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約束

約束というものは、時に美しく、時に呪いのようになる。
少し前までの私はそれをとても美しいものだと思い込んでいて、ひとつ結ぶごとにまるで小さな宝物を手に入れたような気になっていた。
ポケットの中にお気に入りの小石を入れたような感覚。
これさえあれば、いつでもその形を確かめられる。

そう、約束というものは、もやもやと曖昧で煮え切らないモノを掴まえて形にしてくれる。
そして私は安心を覚える。
「これがあるから大丈夫」と、ポケットの中の小石を握って安心する。

しかしながら約束というものは、無情にも果たされてしまうものなのだ。
期日が来れば実行され、期限が来れば解消される。
約束が約束としてそのまま永遠になればいいのだけれどそうはいかない。
ポケットの中の小石は期日寸前にひときわ美しく輝いて、そして失われる。
あるいは期限とともにふわっと消えてしまう。
またあるいは、期日も期限も迎えることなく、やっと憧れた“永遠”となる。
ただし「その形は望んでないんだけどなぁ」と思わず呟いてしまうほどに、どんよりと暗い色に染まっているけれど。

こうして期限つきの宝物を手にした私は、その日が来るまでそれを大切に大切に温めて過ごす。
どきどきとわくわくが詰まったそれを毎日眺めて過ごす。
幸せは約束によって保証され、約束の数に応じて安心が手に入るわけだ。
これさえあれば、いつでもその形を、確かめられるのだ。

約束はいつしか、私を縛る呪いとなった。
それがないとどこか不安でぐらぐらするし、寂しくて悲しくて空っぽで、約束を持たない自分はあの人に必要とされていないんじゃないか、とさえ思うようになった。
そのくせ無駄に残ったプライドが邪魔をするのか、約束をねだる自分はひどく惨めで滑稽で、「ねぇいつか暇な週末ない?」なんて至極ライトな誘い文句すらうまく言えなくなっていった。
誘えない、でも約束が欲しい、そんな葛藤が積もり積もって、スケジュール帳の空きを見るのすら辛い。
私はすっかり、約束依存症になってしまったのだ。

依存症になった私は、日々を怯えながら過ごすことになった。
新しい約束はもう手に入らないかもしれない、この約束が最後かもしれない!なんて不安になるばかりでなく、すでに手元にある約束さえ、突然相手側の都合で反故になるんじゃないかと疑った。

おかしな話だ。
もともとあやふやで曖昧で信用に足らないものをぎゅっと固めて信じられる形に変えたものが約束だというのに、それ自体を疑うなんて。

ふと鏡を見ると、私は泣いていた。
ポケットの中で大切に握り締めて確かめたはずのそれは、私が欲しかったものではないことに気づいてしまったのだ。
依存とは往々にして欲求の核心を隠す。例に漏れず、私の約束依存症も視界にヴェールをかけていた。
正直、ヴェールの向こうにあるものは、まだ見たくない。

今、私のスケジュール帳には3ヶ月先まで空きがない。
平日は仕事で塗り潰し、週末はとにかく誰かと出かける予定を詰め込んだ。そうすれば余計なことを考えずに済む、と無理やり詰め込んだ。
普段あまり帰ろうと思わない実家にも、泊まりで帰ることにした。
大丈夫。みんなとの約束があるから、大丈夫。

季節が変わる頃、その先の約束を意識せざるを得なくなった頃、私は一体どうしているだろうか。
また以前のように、宝物のように美しい約束を手にしているだろうか。
それとも、めいっぱいの約束で重たくなった手帳をだらりと右手にぶらさげているだろうか。今みたいに。

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