もももも。

僕が語る事はあくまで「自分はこうした」というスタンスであって「お前らもこうしろ」ではあ…

もももも。

僕が語る事はあくまで「自分はこうした」というスタンスであって「お前らもこうしろ」ではありませぬ 参考にはしても真似はしないでね

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ただ在る、という事しかできない

人生については散々に煩悶してきたのだけども、結局突き詰めると「ただ在る」しかないのだろうなって思う。 人間の能力はこの宇宙を知るにはあまりにも矮小で、だから宇宙を知ろう知ろうとすればするほどに虚しいし、真実を知ろう知ろうとすればするほどに虚しい。 理性でごちゃごちゃと計算して小賢しく真実に肉薄しようとすればするほどに虚しい。 この世には所謂賢人と俗人がいて(ショーペンハウエルとかオルテガとかエドワードギボンとか、古今東西の賢人たちが散々に語り尽くしてきた“アレ”である)

    • この世に存在してる情報の大半は天才の方を向いていない

      なんかお前いっつも同じこと言ってんなって感じだが、昨日から今日にかけて改めて感じたのは、 この世に存在してる情報って凡人や秀才向けのものばっかだな。って事。 ここ数日フと興味の出たテーマがあったのでそれについて一生懸命調べてみたのだけれど、どの情報も凡人や秀才の方を向いているし、そもそもの執筆者(発信者)が凡人や秀才なので、天才の僕からするとそもそもの視座が異なり過ぎて「どうでもいいよそんな事…」と感じてしまう。 要は凡人や秀才は(天才から見ると)恐ろしく狭い枠を「広い

      • 個人的視座にとどまっている人間と、大局的視座にいる人間とでは、根本的な世界観がちがう

        人間を考える際に、「自分」「自分達」という狭い世界に安住してそれで全てが回ると“勘違い”している人間と(いわゆる「忘恩」)、 「世界」…場合によっては「宇宙」を起点として4次元的に自他の在り方を模索している人間とがいる。 この場合は無論、前者は後者を理解する事ができない。 そして得てして前者に限って「自分は頭がいい」と勘違いして「シニカル気取った頭の良さげな、どこぞのブログや新書の受け売り10割な人生観」をひけらかしがちだ。 例えば、「私は人生わかってます」気取って「自分

        • ガチ高知能者いわく、結局、「高知能で孤独なら、高知能者が多いコミュニティに所属しろ」って事らしい

          普段の僕のnoteを読んでる人からすると(いるのかそんな奴)、僕はいっつも「僕は高知能だ、天才だ」的な尊大な事を言ってるので「コイツはなんて尊大な奴なんだ」と思われても仕方が無いのだが、実のところ僕は尊大なんじゃなくて、自己認識が正確なだけだ。 事実として僕は頭が良いし、天才肌なので、「僕は高知能だ、天才だ」と言っているのである。ちなみに僕はストレスのせいなのか高校生の頃から若M字ハゲで、開き直って大学卒業を機にバリカンを買って今や坊主頭である。これも正確な自己認識。 この場

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        ただ在る、という事しかできない

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          安易で極端な発想に飛びつかず、中庸を維持するために必要な事(私見)

          ここ最近の記事の総括的な内容。 安易で極端な発想に飛びつかず、中庸を維持するために必要な事とはなんだろう? ボディポジティブは本来、拒食症をはじめとする強迫的な痩せ信仰、痩せビジネスが支配する女性文化に対するカウンターだった。 ―――のだが、なんか最終的にはクソデブを批判したら死刑!というムーブメントに成り下がり、その結果あいつぐボディポジティブ系インフルエンサーの肥満死を招いた。 要は限度を考えろ、問題である。 限度を考える、ほどほどにする、中庸に努める……というのは

          安易で極端な発想に飛びつかず、中庸を維持するために必要な事(私見)

          結局、バカは別の生物である

          バカを同じ生物だと思うからイライラするし、裏切られる(というより、勝手に期待して、勝手にキレる)。 コレは僕自身前前から思ってきつつも実践が難しく難儀してきたのだけれど、でも一応、徐々に徐々にできるようにはなってきている。 前回記事でも述べたように、こういう考え方は「高慢」「冷たい」ようで、実は一番善良で禍根を生まない考え方だ。 生産性も一番高まる考え方なんじゃないかと思う。 要は僕は「犬」に対して「こら!なんでエルサレムのアイヒマンをよまないんだ!!バカか!」とキレて

          結局、バカは別の生物である

          知能とは処理能力。処理能力は絶望的な差を生む。つまり知能格差は絶望的

          なんか未だに「知能の多寡が人間の全てじゃない」みたいな言説に逃避している者を多く見るのだけれど、知能は人間の実質全てだ。 あたりまえじゃないか。 スマホやパソコン、現代医学や高度な社会秩序……。そういった人類の叡智の恩恵にあずかっている身で、何舐めた事言ってんだ。 そういうのを、オルテガは「忘恩」と謗ったのである。 そんなに知能が嫌いならアマゾンの奥地で寄生虫にまみれてカンディルに齧られてなさい。 例えば蜘蛛は「巣を張る生き物」だし(まぁ巣を張らない蜘蛛もいるけど)、チ

          知能とは処理能力。処理能力は絶望的な差を生む。つまり知能格差は絶望的

          ネガティブケイパビリティ=知能の高さか?

          僕個人としては「ネガティブケイパビリティがない=頭が悪い」と思いたい部分があるのだけれど(だってネガティブケイパビリティがないって創造性がないって事だし)、ただ一方で世を見渡すと、明らかに頭はいいんだろうけど頭ガチゴチに固まってる人もチラホラいる。 となると、「ネガティブケイパビリティがない=頭が悪い」というのは現実を単純化し過ぎているのだろうか。 恐らくだけど、三島由紀夫とかを見るに、ある思考に強迫的にはまりこんで頑なになってしまう要因は、「頭の良し悪し」というよりも「

          ネガティブケイパビリティ=知能の高さか?

          頭の悪い人はずっと「体育の授業をさせられてる」ようなもの

          いわゆるバカはなぜあんなに妙に他害的なのか、あの妙なプライドはなんなのか。 その辺については別にとっくの昔から結論らしいものはひとまず出ているので、その点について今更僕がどうこう言う気はないのだけれど、 改めて考えると確かに、バカの生涯はきわめて苦痛に満ちているのだろうなと思う。 そのストレスだとかなんやらで、現実逃避的に反動として狂暴化するのは仕方がないというかなんというか。 バカの生涯って要は、「運動神経の悪い人が延々と(永遠と)体育の授業をやらされてる感じ」なんだ

          頭の悪い人はずっと「体育の授業をさせられてる」ようなもの

          ハードワーカーはガッツリ寝よう

          僕の一方的な提言として、ハードワーカーはむしろ(?)ガッツリ寝た方がいいと思う。寝すぎるぐらいに。 強迫的なハードワーカーにとって一番の恐怖は睡眠中は仕事ができない!という事なわけだけども、前回記事で書いたように、睡眠不足はガッツリ仕事のパフォーマンスを下げる。 しっかり睡眠を取っていれば15分で終わる作業が、睡眠不足だと20分かかったりする。 この辺を数字的に考えていくと、結局、ガッツリ寝てハイパフォーマンスを維持した方が、日中の活動時間は短くなっても仕事の密度は上が

          ハードワーカーはガッツリ寝よう

          睡眠不足によるパフォーマンスの低下はガチで自覚できない、というお話

          睡眠不足だとパフォーマンスが低下する。 しかもそのパフォーマンスの低下を当人は自覚できない。 ―――という情報は、さして健康意識が高くない人でも大勢が見た事があると思う。 僕も昔からコレは知識としては知っていたのだけれど、特に二行目については「ほんとか?」という気持ちもあった。 でも今の僕は、コレに関しては、ガチで「ガチ」だと断言できる。 というのも僕は本業(絵描き)だけじゃカッツカツなので(あと他の言い訳をするなら座り仕事ばかりだと体壊しそうなので)アルバイトもしてい

          睡眠不足によるパフォーマンスの低下はガチで自覚できない、というお話

          ぼくをわかってくれる人は何もいわなくても理解してくれるし、ぼくをわかってくれない人はどれだけいっても理解してくれない

          最近あらためて思うのだけれど、ぼくをわかってくれる人は何もいわなくても理解してくれるし、ぼくをわかってくれない人はどれだけいっても理解してくれない。 つまり本質的に、言語など無意味だ。 無論これは僕が天才だからであって、凡人や秀才には関係のない話。 例えば寡黙で通した映画監督ジョン・フォードの事を僕は(彼が寡黙だったのにも関わらず)なんとなく理解できるし、また僕は黒澤明の私生活を全く知らないが彼の事もなんとなく理解できる。 デビッド・リーンや北野武も。 天才が理解を欲し

          ぼくをわかってくれる人は何もいわなくても理解してくれるし、ぼくをわかってくれない人はどれだけいっても理解してくれない

          どんな事情があろうが、弱くて鬱陶しい人間は嫌われて仕方が無いという厳しくもシンプルな現実

          僕の場合、まず僕自身がトラウマを抱えた被害者かつ加害者であってきたし、またトラウマを抱えた加害的な他者の被害者でもあってきた。 なのでトラウマを抱えた人がどう足掻いても「正常」に振舞えない事情もわかってるし、他方で、「そんな人間」が相手からすると有害極まりない事もよ~く分かっている。 そんな僕なりに結論を出してみると結局やっぱり、「(それがトラウマの影響であろうが)鬱陶しいムーブをする人間は嫌われても仕方がない」し、それが嫌なら、トラウマを抱えている人は己のムーブを改める

          どんな事情があろうが、弱くて鬱陶しい人間は嫌われて仕方が無いという厳しくもシンプルな現実

          もがくエネルギーが無駄だ

          最近僕は徐々に確信を深めつつあるのだけれど、「もがくエネルギーが無駄」な気がする。 もうちょい具体的に言うと、過去に色々と辛い経験をして、人格が崩壊してるとして、それを「治療」しようとウダウダもがいてるエネルギーが無駄というか。 大した事のない心の傷ならすぐ治るんだろうけれど、一定値以上の逆境体験は不可逆レベルにその人の人格を規定してしまう。 こういうのもその気になれば治せるのかもしれないけれど、それで浪費されるエネルギーが無駄過ぎる。 そうやって必死こいて精神を立て直そ

          もがくエネルギーが無駄だ

          「一番地味で一番心がときめかない方向が一番ただしい方向」な傾向について

          アレコレと人生悩むことは多いけれど、僕個人の経験則を述べると、 迷った時はえてして『「一番地味で一番心がときめかない方向」が一番ただしい方向』だと思う*。 これは要はブッダが述べた「中道」と本質的に同じ意味なのかもしれない。 そしてこれはまた、もっとも苦しく厳しい方向でもあろう。 丁度いい塩梅。それが結局一番難しくて、一番ストロングスタイル。 いわゆる意識高い系の界隈でよく言われるのが、「ワクワクする事をしよう」みたいなの。 アレも確かに分かるんだけど、それに無暗に従っ

          「一番地味で一番心がときめかない方向が一番ただしい方向」な傾向について

          賢い人は結局、「待つ」事しかできない

          自分なりにアレコレ調べていると、賢い人は得てして『我々(賢い人)は結局、「待つ」しかない』という結論に至ってるようだ。 どういう事かと言うと、賢い人は態々実際に戦争をしなくても、頭の中でシミュレートして「この戦争、日本はアメリカに負ける」と“事前に”わかる。 かといって「この戦争はどうせ日本が負けるから、しない方がいいよ」と賢い人が“善意から”提言しても、一般日本人は「なんてことを言うんだ!この非国民め!常識が無い!空気が読めない!」とキレ散らかす。 そして実際にアメリカ

          賢い人は結局、「待つ」事しかできない