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太陽のような人

学生時代、太陽のような人と呼ばれる人がなぜだか苦手だった。自分にその明るさがないから?明るさをうるさいと捉える人なのかな?その当時考えつく答えを当てはめてみたけどどれもしっくり来なかった。
最近になって、また太陽と称させるのような人にであった。その時、ふと身勝手さを感じるからだなと納得した。

太陽は私たち人間の命を握っている。太陽ひとつ、ちょっと日が弱いだけで飢饉が起こる。ちょっと日が強くなっただけで干上がる。塩梅が私たちに合わせられることはない。ずっと支配されている。

太陽のようだと言われる人には、その身勝手さを時々感じて、場を盛り上げてくれてありがたいなという感想だけで終われない。この人ひとりにこの場の空気がかかっているという危うさに心がヒリヒリする。

けど、そもそも、私がこの場の太陽の代わりに慣れたら、こんなこと考えなくて言い訳で、私に話術とか気遣いとか勇気とか色んなものが足りないからなれないわけで。また、支配されることしか選べない。

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