なんのためにあったのか?
これは私のための備忘録。
ネガティブサイドを語ることは散々やったと思う、私たちは。
でも、ネガティブを語るために生まれてきたかってわけではないのよね。
でもそのネガティブには意味があって。
それは単なる過程なのだ。
どんな私だったら最高かな。
どんな私だったら楽かな。
これがどこかにあるのを知ってるから、ネガティブっていうのは現れる。
ネガティブを見ている時の自分の背後を見てみよう。
こうだったらいいのに。
こんな私だったら最高なのに。
私ってこんなにすごいのに!
そんなものがたーくさんあるはず。
そろそろ。
そっちを語っていこう。
自分が心地良く、楽でいられることを意識して過ごしていったって、ぶち当たる時はぶち当たるんだ。
でも、だからこそその時のぶち当たったものって、すごく分かりやすくて、ほんとにその時の自分に大切なものなんじゃないかって思う。
普段からネガティブにずぶずぶだったら、すべてがネガティブに見えるだろうし、悪いところばかりに目がいくから、ほんとに大切なものがまみれてしまって分からなくなる。
だからさー。
そのネガティブサイドって、自分のなんのためにあるんだろうって考えよう。
そうしたら、"〜のせいで" "〜があったから"じゃなくて、"〜のおかげで"に、変わってくるじゃん。
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