大阪という概念について

私は1983年に兵庫県神戸市で産まれ、育った。

初めて大阪に行ったのは中学生の時、従姉妹と共に心斎橋のアメ村に行った。

高校生になり、友達と天王寺やPLの花火大会やアメ村に行ったりHEP5に行ったりした。

兵庫県西宮市の大学に進学したが全国から進学してくる人が多かったこともあり、割と頻繁に梅田や難波に行くようになった。

HEP5や東通り。ミナミのライブハウス、クラブ。ロクな思い出がない。大阪を漠然と嫌悪していた。

私の"大阪観"が変わったのは、大学を卒業して梅田で働くようになってからだ。

お固い、某メガバン子会社の金融系の会社なのに梅田の色街に何故か大阪支店があった(今は無い)。

営業の仕事をしていたので、さまざまな企業を社用車や公共交通機関、自転車で、大阪市内を走り回って訪問していた。

同僚や上司も、大阪の人間が多く、仲良くなった先輩やその友達の家に遊びに行くこともたまにあった。

鴫野、樟葉、あびこ。

初めて覗く、キタとかミナミではない、生活する場所としての大阪。

結局、神戸支店で働いていた負けず嫌いの女の先輩が精神を病み、営業に欠員が出たせいで私は1年後神戸支店に異動となり、楽しかった大阪ライフは終わった。神戸支店に異動したおかげで素晴らしい取引先様を担当することができたので、それはそれで良かったけど。

とにかく、大阪で1年間働いた事によって私は、兵庫県民としてはかなり大阪に詳しくなったのだ。

その後も、今の会社でも大阪で数年間働いたし、友達もたくさんできたのだけど、私がベースに持っている"大阪観"はあの2005年に形成され、その後も矯正されることは今のところ無い。

そしてここからが本題なのだが、この大阪観を何とか文章にして伝えたいのだが、これが難しい。

共感してくれる人がいるのか否か知りたい。

探偵ナイトスクープという番組のオープニング曲あるじゃないですか。

ベッドのまわりに何もかも脱ぎ散らして

週末だけの秘密の部屋おどけて云々

っていうあの曲を聞くだけで、というか思い出すだけで胸が締め付けられそうになる。

おかしいですか?

昔あったロンブーのガサ入れとか、なんぼdeナンボとか、番組で大阪で一人暮らししてる人の家に行くやつとかを見ているうちにとある概念が形成された。

"大阪の人は、だいたい皆んな同じような間取りのマンションか賃貸のワンルームに住んでいて、みんな吉本新喜劇と探偵ナイトスクープを観ている。"

ここまで書いてイライラ。こんなんじゃ全然伝わらない。

吉本芸人が語るミナミで遊んでる話、若手のお笑い芸人はだいたい蒲生四丁目にルームシェアして住んでいる、大国町のレオパレスに住んでいた元カレとの思い出、夜の大国町、花園町でルームシェアしていた友達、遊んだ日はそこに泊めてもらったこと、ミナミの立ち飲み屋に行った事、難波のジャンカラ、美園ビル、

途中から自分の"もう戻らない大阪"の羅列になったけど、元カレは台湾に帰ったし今となっては何故つきあったのか(顔が良かった)どこが好きだったのか(顔)わからんし、花園町の友達はスイスだかドイツに帰ったしコロナ禍やし。

とにかく、私は探偵ナイトスクープがあまり好きでは無いので人生の中で2回くらいしか視聴したことはないのだけどあの曲を聞くと胸が締め付けられるんですよわかる人いますか?いたら貴方とは上手い酒が飲めそうだ。


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