8/11 定期稽古の記録(皮膚/コロスの実験)

今日の稽古は床稽古とコロス(群衆)の実験的な稽古だった。

●床稽古
今回の床稽古では玉のイメージの予備動作から始まり、床に寝て立ち上がるまでの間はずっと目を閉じて行うという条件で行われた。

最上先生のツイート

"皮膚と空間が触れ合うところ"をより感じるために目を瞑って行うという目的だ。

ここ最近は、床に寝たところから立ち上がる途中まで目を瞑って行うことが多かったが、予備動作から立ち上がり切るまで目を瞑るということは初めてだった。そして同じ目を瞑るでも、意図や目的によって体験するものが全然違ってくるのが面白い。

鈴が鳴ってゆっくりと目を閉じて、予備動作の膨らむ動きを始める(というか始まる)と、今日は海と太陽のイメージが出てきた。(数日前にそういう画像を検索しまくっていたのでそれが出てきたのだと思う。単純)そして気づけばなぜか空が絵画のようになっていき、バームクーヘンのようないくつもの色んな濃さの青い線で表現されていた。他にもいろんな変化があったように思う。それに合わせて膨らむ動きをしていったのだが、今日も腕が勝手に動く感じで、肩よりも手が上になってからもいつもは重たさを感じるのに、今日はそこまで感じずに動かされている感覚のまま膨らんだ。

今度は縮ませていくと、世界が腕の動きと一緒に縮まっていき、折りたたまれ、世界が暗闇になっていった。

目を瞑っていることで、身体がいつもよりあいまいになっていて、カッテージチーズに生クリームを少し加えたくらいの溶けた状態になっていたので、手を使わずにそのまま床に落ちていった。

身体を仰向けの体勢にしようとするときは、私は黒く大きな物体になっていて、どんどん大きく伸びるような感覚があった。「自主練習ではやっぱりこうはできないよな…」なんてふと考えながら。

床に寝ていると、空に分厚い雲があり、ザザぶりの雨が降っていて、雷も鳴っていた。次のシーンでその上から太陽の光が差し、雨がキラキラと輝いて、狐の嫁入りのようなシーンが見えた。

私は畑。
畑の私に降り注ぐ雨と光は私の守護神。

そのときおそらく両隣の方の寝息や呼吸音が聞こえていて、それによって畑だった私は気づいたら宇宙になっていた。(畑になり切ることができなくなってしまったようだ)隣に赤い惑星がある宇宙だった。(多分、それは隣の人)私は宇宙そのものになっているような気がした。

あっという間に鈴がなり、起き上がる時間がやってきた。今までで一番短い床稽古だった。(実際はいつもと同じ10分間)

もうちょっと床で味わいたかったので起き上がり始めが遅くなってしまい、それでも立ちたいので少し焦ってスキップしそうになる自分を落ち着かせて丁寧に動いていった。

目はまだ瞑ったままだけど、壁に近いところで床稽古をしたのもあり、壁の存在は大いに感じていた。これは目を開けてやるよりも存在感が際立っていた。

起き上がる途中から皮膚と空間が溶け合う感じになっていって、
「私は空間だ」というふうに思えてきた。
私は空間なので、私が動くことで空間が作られていくような感覚になった。

それは身体をほんの少し起こすたびに宇宙が作られていくような体験で、ゲームの世界みたいで、天地創造の神様になれたみたいで、官能的でもあり、とても面白かった。

立ち上がってゆっくりと目を開けた。空間の私が作ったものが一気に目に入ってきて、なんだかとても嬉しかった。そしてすぐ最上先生が見守ってくださっているのがわかって、その瞬間が本当に嬉しかった。見てくださったから、私はここに存在している。

楽しく嬉しいまま、左回転してみなさんを見たくなった。
そのときも天地創造の感覚は続いていて、私の一挙手一投足が空間に命を与えているような感じもした。みなさんも立ち上がって楽しく踊っているようで、「だよね」と思ったと思う。

気づいたら天井いっぱいに羅針盤ができていて、私は最後、空間を完成させるために?一歩後ろに引き下がり、横に広げた両手を身体の前で閉じていく動きでこの空間をまとめて創造が完了した。

この、左回転→一歩下がるという動きがその後のコロスの稽古で行われたのでちょっとびっくりしながらその説明を聞いていた。

●コロスの稽古

最上先生が用意された脊椎と肋骨の形に似ている木の枝を使って行う。
6人が円になり、木の枝を持っている人が左回転を始め、次の人に枝を渡す。そのとき目を瞑り焦らず枝から伝わるものを受け取り、その人はまた左回転をして次の人に枝を渡す。そういう流れだ。

最上先生のブログ

近代的な自我からしかスタートできない私たちだが、それでもコロスは成立できるのか。「一人では行けない場所に、複数の人間で行ってみたい」それは私自身も焦がれるほど感じていることだ。

私は後半組だったので、まず前半の人たちのコロスを見た。
手渡しを始める前に、空間を立ち上がらせるため、円の状態で一歩後ろに引き下がり、次に一歩前進し、また一歩引き下がり、そこから左に向き、枝を持っている人が左回転を始めるという流れだったが、個々のタイミングが合わないので外に気を取られたりして難しそうだった。(そのため後半組の私たちはその動作がなくなった)

が、トップバッターの古谷さんが回転を始めるともうなんだかすごくヤバいことが始まったと言う感じで、次の方が受け取り、枝が渡され、二人が違う方向に回転していく様子は、その間の空間に竜巻が起こっているようにも思えて凄みを感じた。

その次の方は私の目の前に立っていた方で、回転すると私と対面する形になってしまい、対象化したらダメだと思って目を散らしたのがいいのか悪いのかわからないけれど、とにかくその渦巻きに一緒に巻き込まれて、ハリーポッターのディメンターのごとく、私の一部も一緒に巻き込まれていってしまった気がした。そうやって手渡されるたびに枝に何かが込められていく様子を見た。

丁寧に枝が運ばれていく様は、まるでとある部族の生命の誕生を祝福する儀式が行われているようにも見えたり、あるいは死者を弔っているようにも見えた。そして私も一部さらわれていったので、私が運ばれているようにも少し思えた。

また関係性から存在が立ち上がるという「縁」というものをこの目で見たという気がした。

最後はまたスタートの古谷さんのところに枝が戻っていくが、最上先生の事前の説明ではそのままお辞儀をして終わるはずだったが、古谷さんは円の中に歩き出し、その枝を中心に置いて円の中に戻られた。予想外な動きだったが、それにつられて動く人もいて、しっかり関係性が作られているようにも思えた。

終わった後の枝は全くただの枝ではなくなっていて、でも全く動かないので亡骸とか、子供の脊椎とか、生命の源のように見えた。

後半組は円の状態から20秒ほど黙想して、そこから左に向き、手渡しが始まり、手渡しの際は20秒ほど目を瞑り、枝から伝わるものを受け取るという手順になった。
また円の中心を向いて待っている間は、身体が固まったり硬くならないように、垂直の意識をもって揺らぎをつくる指示もあった。もちろん手渡しされているところに意識は向けることは大前提だ。

私は3番目に受け取る場所にいた。
1番目と2番目の人の手渡しが始まっていくとき、すでに何かすごいものがこちらに来るというのを全身で感じていて、私の身体は小刻みに震え出した。やはり、生命が来ると言う感じだったかもしれない。

でもそれは全く恐れるものではなく、緊張するものでもなく、重たくもなかった。
ある方がシェアタイムでお茶碗のスローとの違いを仰っていたが、確かに前回の稽古(記録なし)で、他者からお茶碗を受け取るという経験をしたときの方が、圧倒的に重たいものが渡された感じだった。

コロスだとやはり自我が出にくいのか、怯えることなく、ただただ穏やかな心境で受け渡していったような気がする。

私の対面で受け渡しがされているときなどは、やはり私なのか、枝なのか、他者なのかが曖昧になるような感覚があった。待っている間は上下の揺らぎを丁寧に行い、円の空間に何かを送り続けていた。

そしてスタートの大西さんの手元に返り、枝を中心に運ぶとき、大西さんは枝をあらゆる方向へと動かした。大西さんはシェアタイムでそのときのことを「本当はみんなと一緒に中心に持っていきたかった」と仰っていたのだが、それがこちらに十分伝わっていた。思いっきり私たちを巻き込んで、中心に運ばれていく感覚だった。

大西さんは最後に枝を少し傾けたところからパッと手を離し、枝を倒した。
対象化してみていないので、何をされているのかあまり把握はしていなかったのだが、床に当たる音がした瞬間、それが雷のように身体を走った。

シェアタイムで私に手渡してくれた方が、共同体への希求のようなお話をされていてとても共感した。

今回は、これまで私の世界に無かった概念が生まれていく仮定を味わった気がする。これはインナーマッスルを指導するのとちょっとだけ似ている。下腹部のインナーマッスルを感じたことがない(認識したことがない)生徒さんに対して、これまでなかった概念を「あるのだ」と教えて、生み出していく過程。これを私はヘレンケラーの世界ですと伝えたりすることもある。

今回は全体的に「無からの創造」を体験したのかもしれない。


秋田にいらっしゃる稽古生の方からスイカの差し入れ!
もうほんとうに美味しかったです。
大きいのを2つもいただいてしまいました。
ありがとうございます!ごちそうさまでした!
明日何があるかわからない昨今、
今日死んでもいいと思える1日を過ごせて
本当にありがたかったです。

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