4/28定期稽古の記録

●床稽古
まず「球体が膨らむ、縮む」の予備動作のときの、縮む動きをしているときにラズベリーの実が想起された。

背景:
わけあって4月上旬にラズベリーの苗木を買っていた。
それ以降は毎日毎日、どんどん葉っぱが増え、大きくなっていく姿を見ていた。稽古の3日ほど前、気づいたら葉っぱの根元に実がなり始めていることに気づいて私はギョッとした。

「生きている」という生々しさを突然突きつけられたような感覚。
私には罪悪感があったのだ。

実のなる苗木は本来なら、地植えの方が良いに決まっている。でも私はマンション暮らしでそれができないから植木鉢で育てるしかできない。ラズベリーにとって望ましい環境ではないのに、自分の都合で苗木を買った。

育ち始めたばかりの苗木は、まだおそらく窮屈さを感じていないと思う。だからスクスクと陽の光を浴びて、風に吹かれながら元気いっぱいに育っている。

それが私には少し痛かった。

苗木が成長するにつれ、いずれ窮屈さを感じるようになるはずだ。そのときはじめて、この子は生存戦略を変えるだろう。

私はこの子にとって加害者である。

・・

床稽古に戻る。縮むという予備動作を経て床に寝る体勢に入ると、今度はだんだんと土や根が想起された。土といっても培養土である。(せめてもの罪滅ぼしとして、私はラズベリーに適した良質な培養土を買っていた。それは思わず口にしてみたくなりそうなくらいふかふかな土だった。)

床が培養土になると、今度は私の身体から根が伸び始めた。
「今から私はあの子の誕生の追体験をするのだな」と腹を括った。
私の身体の上に風が走っているのを感じた。

起き上がる段階になったとき、起き上がるために根がさらに伸び始めた。
あの子が力強く育っているのを感じた。

膝立ち状態になり、葉っぱは太陽を目指してめいいっぱい腕を伸ばしている。(膝から根が伸びている)
風と光を感じながら。

「生きている!」「私は生きている!!」

あの子は生きる喜びを感じているのだということが身体でわかった。
これはあの子の誕生を祝う祝祭の舞だ。

そこから立ち上がるにはもっと力がいる。
それはあの子が大人になることを意味していた。
あの子は迷いなく、可能か不可能かなんて考えずに力を出し続けた。

そして見事立ち上がることができ、あの子はただただ生きている喜びをめいいっぱい感じていた。そしてまだまだ葉っぱは伸び続け、風に吹かれ、隣の木と絡まろうかというくらい元気だった。(隣の木=白鳥さんの腕)

・・

私が植木鉢で育てている罪悪感は消えないけれど、たとえ自分が育つ環境が悪くとも、それでもあの子が喜びを感じていて、私がそれを全身全霊で祝うことができたのは良かった。


●目を瞑る/動きを封じる

動作(うろ覚え):
舞踏状態でなくても良いのでまずは丁寧な動きで3歩前進し感覚を覚えておき、足を揃えて目を瞑り、今の重心がどこにかかっているかを感じたら、その重心を分散させるように微細に動く。次に踵をゆっくり少し持ち上げ、トンと床に落とす。その動作をしながら仙骨を身体の中心に戻しつつ、軸を立てていく。その後ゆっくり目を開けて3歩前進する。最初と何がどう違うかを感じ取る。

目を開けた状態で3歩前進したら3歩後進を何度か繰り返す。両足を揃え目を瞑り、両手を腿の前に当てる。その状態で右膝を上げようとしてみる。次に重心を右に移したり、左に移したりしてどう感じるかを試みる。次に仰いだり俯いたりしてどう感じるか試みる。腿に当てていた右手を上に上げようと試みる。上に上げられた人はゆっくり戻す。

・・

この稽古前の重心は、左の母指球と左右のかかとに乗っている感覚だった。
(注:普段は自分のメソッドの立ち方を常に行なっているが、舞踏の稽古のときはその技術は一切使っていないため、自分のくせのとおりの身体になっている)

重心を分散させるとき、上半身を上から引っ張られているように意識すると分散させやすいとのことだったが、これは普段からやっていることだったせいか、身体の特に上半身の存在がすぐ透明になり(背骨だけ残っている状態)、それは普段とさほど変わらない感覚だった。かかとをトントンと落とす動作も、普段とさほど変わらない感覚だったためか変化がわかりづらかった。仰ぐ・俯くの動きでは俯くと底が見えない狭くて暗い空間が床に伸びていった。目を開けて再び歩くと、また培養度の上を歩いているような、床がボコボコと波打つような感覚で歩いた。

腿に手を当てて身体の動きを封じる稽古はかなりハードだった。
まず手を当てた状態では膝は上げようとしても(舞踏状態では)全く上がらない。
次に左右に重心を動かすと、右は「エレベーターが故障して半分だけ下の階へ下がった状態」のような落差を感じ、左はまるでかなり重い踏み台昇降マシンに乗っているかのような感覚で右のようには沈めない感覚があった。次に右手を上げようとする動きは全くもって腕を上げることができなかった。手が腿から抜けないという感じで、抜くために左手は下に下げ、足裏は根を生やし、それらの力によって右手を引き抜こうとするのだけど抜けない。途中、何度も息が切れたような感覚になるほど頑張ったのだけど抜けなかった。木の幹から枝が生えていくことがこれほどまでに大変な営みだったのかということを思い知ったようだった。


●フリーダンス
踊る前に最上さんより「踊りにならなくとも虚しさのない動きをすれば良し」というような言葉があった。

最初、見る側では一人一人の丁寧な動きから生まれる流れに魅了されていった。皆さんそれぞれの流れによって翠雅さんのいる左前方の下から大きなエネルギーが右奥の上へと広がるようなものを感じ、そのとき右奥にいた山川さんやひろこさんが身を震わせながら受け止めておられるように感じた。私の左手には最上さんがいて、後ろのスピーカーからアダージョ(Adagietto)が流れ、なんと贅沢な時間だろうと感無量になった。

その状態で後半の自分たちが踊る番になった。やはりラズベリーがちらちらと想起され、今日はそういう日なのだと思ってもう一度元気な葉っぱのラズベリーとして踊った。とはいえ最上さんの言葉のとおり、踊ることは後回しにして稽古で取り組んだ虚しさのない動きを心がけ、次にどう動けば良いか分からなくなっても焦らず丁寧に動いた。途中、風にたなびく元気な葉っぱになれて良かった。最後は床にうずくまり土にまみれた。そのときは田中誠司さんの舞踏ワークショップのイニシエーションで起きた”ヌミノース”的体験の続きのようだった。

稽古後のシェアタイムで翠雅さんがストットさんと私が励まし合っているように見えて感動したということをおっしゃってくださったのが嬉しかった。

おまけ:
帰りはいつも大宮でひろこさんとご飯を食べる。稽古を経てそのままスッと帰ることはなかなか難しい。そして今回はお互い時間に余裕があったので池袋でコーヒーを買って公園で座って終電まで喋った。でももう駅に行かなきゃいけないタイミングでどんどん話に花が咲いてスイッチが入ってきて、お別れできる状態ではなくなった。改札前で少し悩みつつ、お互い帰りたくない気持ちを確認し(←恋人か)始発コースを選択。朝5時までやっているガストへ。席に座った時少し眠くて身体が重たかったがそんなことは忘れ去ってしまうほど話はどんどんディープになり、始発ですら間に合わなかった。今日という日はきっと私に大きな力をもたらすでしょう。最上さんに10年後くらいに、通い始めた頃の最初の気持ちとかを話せたらいいねと語り合ったのでした。

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