8/25 定期稽古の記録(皮膚/着物/ペア/踊ることについて)

今回は特別な日でもあった。実は9月初旬にご縁あって初めて踊る機会をいただき、その下見を午前中に行っていた。

その踊りの一番大きな目的は〈鎮魂〉または〈慰霊〉である。死者の魂のために踊るということだ。そして私はその死者とは直接関係はない。ただその悲しい事件のことについて知っていて、心を寄せる気持ちがあったというだけだ。

お誘いを受けたのは5月ごろだったと思う。稽古の帰り道でたまたまその話がされているときに後ろを歩いていて耳に入ったのがきっかけだ。そのときの会話は短かったのに、その後お声がけいただいた。私で良いのか?という思いはあるものの、断る理由はなかったし、このような機会にご縁をいただけたことは大変光栄だった。

とはいえどうすれば良いのか全く手がかりがない中、とにかく踊るときの服装を考えたり、事件の背景や詳細を調べたりして過ごしてきた。そして昨日はお参りをして、事件の現場に行ったり、ご遺体が流された川を見るために3メートルくらいの高さの草むらを分けて道なき道を進んでなんとか一目見ることもできたりした。そのあと踊るメンバーでお昼を食べながら打ち合わせ兼ねてお話しをした。
もちろん炎天下の中の下見なので、汗だく、どろんこ、蚊に刺され。まさかジャングル体験をするとは思っていなかったけれど、このような機会がなければ決して行かない場所に行くことができてよかったし、現場に足を運ぶことはとても大事なことだと改めて思った。

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●床稽古(気づき)

前回同様、予備動作から立ち上がるまでは皮膚と空間の間をより感じるために目を瞑って行う形で行われた。

私は後半組だったが、前半の人たちの姿は神々が舞いながら創造する姿に見えた。空間を立ち昇らせる神がいたり、空間を混ぜて広げていく神がいたり。またその様子は"スタンドアローンコンプレックス"というふうにも思えたし、ミッシェル・セールについて最上先生が時々語られるように、魂は元々集合体だったのかということを思わせるような現象があったように思う。

今日の私は超寝不足(遠足いく前状態になって久しぶりに寝付けなかった)で、午前中に大量の汗をかき、また生理初日だったのでなかなかのコンディションだった。

床稽古では半分夢を見ている状態となってしまい、なかなか深く潜ることはできなかったと思う。他の方は(目を瞑ることで)上下の感覚がわからなくなるという感想がたくさんあったが、私はそのような感覚はあまりなかった。

ただ今回は床に寝転がるときに腹筋群を使わないとそれができない体勢となったのだが、腹筋群を丁寧に使いながらも運動化(エクササイズ化)せずに舞踏状態のままで動くことができた感覚があった。

舞踏の稽古では筋肉を使って動く動作(簡単にいうと「よっこいしょ」というような動き)は極力せずに動くことが基本であると思うが、私自身の感覚としても、いつもは筋肉を使うととたんに丁寧ではない動きとなってしまうというか、深く潜れない感覚になるので極力使わずに動くようにしていた。が、「器官なき身体」であれば筋肉を使うことになっても次元は変わらないのだということが感じられた稽古になったと思う。「器官なき身体」についてこれまでは調べたり考えたりしてもイマイチ良くわからなかったが、前回と今回の「皮膚」にフォーカスした床稽古のおかげで身体での理解につながったことは嬉しい。(といっても今も大して理解できていないが)

今書いていて思い出したが、床に寝た状態で夢を見てしまう前には重要なことを考えていたかもしれない。(それがそのとき考えたことだったか、時系列はわからなくなっているが)

"鎮魂の踊りでは何をすればいいのか。私は「その人たちがここで確かに生きていた」ということをやるべきではないか。これまでの歴史の中で何度もなかったことにされたり、隠されてきた存在を、魂を、「ここにあり」とすべきではないか。それが慰霊としての鎮魂になるのではないか。"

(そう考えたのちに全く関係ない夢を見てしまった気がする・・)

立ち上がってからの動きもなかなかうまくいかない感じがあり、何か動きをしてみようと思うとわざとらしい感じもして動くことをやめてしまうというような状態だった。でも終わった後そのことを自覚して「鎮魂の踊りをする人間が萎縮したままではダメだ。まずは私自身がしっかりと存立しないと」と反省した。だからその後の稽古では自分をまず立たせることを前提として取り組んだ。


●ペア、着物の稽古

前回はコロス、今回はデュオの稽古であった。
一人が着物を着た状態から始め、丁寧に10分かけて脱ぎ、もう一人はその様子を後ろから見ていて、脱いだ着物を受け取り扱うという流れ。ただ稽古生のほとんどが着物に扱い慣れていないので、手順にとらわれて深く潜れないことが多々見られたため、細かい手順は都度都度変更されていった。

まず最初は見る側だったが、私に最も近い場所では大西さん、続いて古谷さんが立っておられた。かなり特等席で見られたのでこの10分は圧巻だった。大西さんは”布への愛"に溢れていて、途中からすっかり着物と一体化されている様子が見ていても感じられて、最後の最後、手から離れてしまうその一瞬は官能的でもあり、ペアの方に移ったあとも大西さんなのか着物なのかわからない感じだった。

古谷さんは床稽古であろうが着物を扱おうが、最大級の繊細さで一瞬一瞬の喜びを感じながら動いていらっしゃるように見えた。古谷さんの他者との関わり方とか生き方が滲み出ているようだった。

前半組では落とした着物を受け取る形だったが、(それでは後ろのペアが着るときに難易度が高いので)私たちの番では着物の形のまま受け取る方法が取られた。ペアの相手が最初着物を着ているところから肩が見えるところまで脱ぎ、後ろに立っている私がそこから受け取りその着物を着るという流れだった。

稽古が始まり、ペアの相手が丁寧に着物を脱ぐ間、私は前回のコロスの稽古を思い出し、黙想から始め、ぼけっと立たずに重心を左右に動かしたり、前と後ろの彼方、上と下の彼方をイメージしながら存立させようとしていた。受け取る前から身体は小刻みに震え出していて、なぜかものすごく暑くてすでに背中から大量の汗が流れていた。

ペアの相手が肩まで脱いだ状態になり、ゆっくりと近づくときも一歩ずつ存立宣言をしながら近づいた。相手の身体の一部をベリベリと剥がしていくように受け取っていった。シェアタイムでは「赤子のように脱がされてていくようだった」という感じでおっしゃっていたが、私としては自ら脱いでいるように感じていたので、それがその人の在り方を表しているようで(あまりの素直さに?)それがちょっと面白かった。

着物が私の手に移り左手から袖を通していくわけだが、やはりというか、着物をうまく扱えずそれに気を取られて気づいたころには一気にズボッと袖にほとんど手を通してしまっていた。「しまった」と思っても、もう元には戻せない状態でまるで「大好物の食べ物を思わず飲み込んでしまった」という感じだった。仕方がないので残りわずかなところから丁寧に扱うことに再び戻った。その後は徐々に深みが増してきて、私の身体はさらに震え出した。それは皮膚が(魂が)喜んでいるということだったのかもしれない。これは着物ならではの感覚でもあると思う。

ただ途中、着物のうなじに位置する中心がわからなかったり、右の袖に通すときも着物の状態がわからなくてうまく通せないでいると集中が切れそうになってしまい、途中で「無理に通せなくてもいい。丁寧にやるしかない」と思い直してからはまた集中状態を取り戻し、最後までできたと思う。

手順にとらわれることがいかに内的身体の表出の妨げになるかがよくわかった。ということは、やはり公演などで踊るときはその動きが半分寝ていてもできるくらいに染み込ませないといけないということなのだろう。そして反復練習から練り上がるものも同時に生成されていくのだろう。

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続いて立場を逆転させて稽古を行う。
私たちの番がその日最後の稽古で、やり方も最初と比べるとさらに変更が加えられた。私たちがやる直前に「目的の動きを直線的にやるのではなく、曲線的にやってください」と最上先生からの助言があった。それによって私は最初にみた大西さんや古谷さんの舞を思い出していた。

私たちの前に稽古をされた方々は、比較的脱ぐ立場の人の展開が早く感じられた。が、最上先生の助言もあって「10分しっかりかけて脱ぐぞ」と決めた。最後の稽古ではアダージョ(Adagietto)の曲が最初からかかるが、この曲は10分以上あるので一曲分を使うことになる。今回の床稽古のときの萎縮した私のままなら「ちょっと早めに終えて渡さないと」とか考えてしまうところだったが、「そうは言ってられない」という気持ちで自分の仕事に徹した。そしてうまくやれそうならアダージョの最後の盛り上がりの時に着物を完全に脱ぎ、曲が終わるまでに引き上げようと考えていた。

着物を着た状態でまず黙想。アダージョが流れ始める。ゆっくりと目を開け、水平線の彼方を見て、やはり自分を存立させることから始めた。そして徐々に着物と一体化するかのように皮膚と着物が合わさるところをたくさん感じていきながら私が剥がれていくように着物を少しずつ脱いでいった。もちろんそれは曲線的に。その都度湧き起こる流れのまま、今までの稽古で学んだことの総復習のごとくあらゆる手段を使ったと思う。皮膚が合わさるところに魂が宿るなら、そのときの私は全身に魂が広がっていたのかもしれない。

途中から身体が震え出し(いつも脚は右の方がよく震える気がする)堪えきれなくなってきて目に涙を浮かべながら、これは「喜びの涙だ」と自覚するほどの、今というこの瞬間の喜びを感じていた。生きているんだなぁと。そして最後の最後、私の手の指先から着物が離れてしまう狭間の中で、寂しさや終わりを迎えることの享楽と恍惚を感じながら、曲の最後の盛り上がりのタイミングで手放すことができた。まだ足元では私の一部として着物に触れていたけれど、気持ちを振り絞って足を前に進めた。本当に、こういうふうに死ねたらいいな。今日できたんだもの、きっとできるはず。

この間、ずっと後ろにいる相手に渡すということを最終目的としてやっていたわけだが、なんとなくうっすら、学生時代のテニスの試合を思い出した。私は後衛も前衛も経験したが、前衛のときは常に後ろにも意識がある。「いざとなれば後ろが(ボールを)取ってくれる」という信頼感。私がやるべき仕事をして、あとは後ろに任せるという感覚。「あとは任せた!」それで1点を勝ち取る。それは一人ではできないことだから、喜びも倍増するんだろう。

恍惚状態冷めやらぬ中で観客側に回って座ると、着物を見つめるペアのその人が這っていた。すでにいつものその人はどこかに行ってしまっていた。というかいつも何重にも張り巡らされたフィルターによって表に出てこない霊的かつ野生的な存在になっていたと思う。

着物をガシッと鷲掴みにした姿をみたとき「ああしっかり受け取ってくれているなぁ」と思った。私たちが扱った着物は表は真っ黒、内側は真っ赤な色のもので、その着物は裏返っていたのでその赤さが何か余計に生々しさを与えていた。

着物を抱えて立ち上がり運ばれていく姿は私の亡骸が弔われているような、尊いものとして祭り上げられているような感じだったかもしれない。もっとその姿を見ていたかったが、私が時間をしっかり使った分、5分で終わってしまったのがやはり少し惜しい感じがした。

踊るにはテーマや思想を立てることが重要とは聞いていたが、今回の稽古を通してそのことがより実感できたと思う。「私なんて」と言っている場合ではない。河合隼雄氏の「花が存在しているのではない、存在が花をしている」という言葉を借りると今回の稽古で「存在が私となった」と感じることができた。

今、自分の会社の立て直しとしても佳境を迎えているときで、毎度稽古があるたびに連動するように生まれ変わっていくこの流れが本当にありがたい。「今、寸分狂わず運命の通り進むべき道を進んでいる」という気がしている。最上先生のこの長年の活動と、手を貸してくれる仲間のおかげだ。(自分自身にも敬意を払う)。



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