自然ってやつ
少し前に大きな地震があって、めちゃくちゃ揺れて、壁にヒビ入ったり、いろいろ倒れたりして怖かったんだけど大きな被害もなかった。
地震直後から携帯電話のメール音が鳴りっぱなしで、ほんとに地震起きてすぐだったから情報の早さに驚いた。メディアの凄さよ・・(笑)
そのあと、外に出ると近所の人たちも出てきてて大丈夫やったかー?びっくりしたなぁ!ハハハー!と笑ってる(笑)
その笑顔にホッとした。
お互いの安否を確認し合って、家に戻る。
そのあと、近所のおじちゃんがやってきた。手には大きなバッタ。
末っ子がいつも虫捕りしてて大好きなのを知っててくれたようで、「これ、大きいの捕れたから喜ぶと思って持ってきた。」と。
そして次の日の朝、ピンポンが鳴って出ると今度は近所のおばちゃん。
手には、カブトムシ。
「虫好きやろ?これもらってくれる?」と。
地震があって、それぞれに家の中が壊れたりしたけれど、ここの人たちはこんな時でも周りの人のことを思う気持ちがある人ばかりなんだなぁ。。
助け合う心。思いやる心。
この土地の人たちは、どんな時でも深刻になりすぎず真剣にユーモアを忘れず生きてる。
いざというとき、お互いに助け合える。
昔のちょっとお醤油借りにお隣に・・みたいな世界がここにある。
自然の脅威には何も太刀打ちできないけれど、起きてしまった後の世界で私たちはどう生きるか。それだけだなと教えてもらった今回の地震でした。
対策は出来ることをすればいい、色々と買い占めたくなる気持ちもわかるけど、奪えば足らず、分け合えば余る。
そんな心持ちでいる方が私は心地いい。
不安なことばかり並べて、対策するのもいいのだろうが、不安がまた不安を呼んでぐるぐるループに陥るから、なったときに考えよう。で生きている。
子供がいるのにそんなんでいいの?と言われそうだが(笑)
なったらなったで子供たちも、私もいい経験になると思っている。
そして今、台風が来ているそうだ。
一番先に買ったもの・・カードゲームのウノと人生ゲーム。(笑)これは売り切れてなかった!
水はみんなが買っててなくなってたし、電池は明かりに必須なので必要なだけ買っといた。
食料も何とかなるやろう。
何とかならなかったらどうする?って?
きっとその時は何とかするのである。(笑)
死ぬときは死ぬ。それだけだ。
人生すべてを思いどうりにしたくて、幸せになりたくて生きてきたけど、どうやらそれはただただ苦しみを作ってきただけ。
不安から、自分を一生懸命に守り抜いてきたつもりだったけど、それこそが自分自身への最大の攻撃だったようだ。防御とは攻撃である。攻撃とは防御である。
私たちが思い描いてきた、幸せとは○○になれば幸せだとか、○○があれば幸せだとか、自分ではない○○によってもたらされるものだと思って生きてきた。それこそが、思い違いだということに気づくまで私たちから争いが消えることはないだろう。
本当のしあわせって、現れては消えるようなものではないということ。
それはいつもそこにあって、不動のものだった・・
当たり前すぎて、常に刺激を求める私たちには物足りない。
なにもないじゃん・・と感じてしまうかもしれない。
そしてまた、私たちは欲望の誘惑に乗ってしまう。
「幸せのようなもの」を手に入れたと思ってその時は喜び満ち溢れるけれど、今度はそれを失う恐怖を抱えて生きることになる。
そうやって人は生きてる。
思いどうりにすればするほど、自分にとって「良い」と思ってこだわればこだわるほどに、自分の思惑とは裏腹にどんどん不安や恐怖が大きくなり、がんじがらめになってしまう。
無意識にいつも、私にとってはどっちが「良い」?「悪い」?と裁きながら生きている。
だからいつも、不安で全てに自分にとっての意味をつけて「安心」したいのである。
自然さえも私たちは思いどうりにしたいと思っている。
今はたくさんの情報がすぐにわかる時代だから、遠くで起こっている震災でも事件でも知ることができる。
それと同時に、心配と恐怖もセットでついてくる。
ああなったらどうしよう、ならないようにしないとってね。
便利になっていくたびに心はどんどんロボットのように、これにはこれ、あれにはこれと自動的に動いてるようだ。
ネットがなかった時代、私たちは今よりもっとお隣さんが近かった。
助け合うことが当たり前だった。
子供たちもみんなで育てた。
人は一人では生きていけないっていうけど、今のご時世生きていけるような気がしてしまう。
でもやっぱり、いざってときは人に助けられるんだよね。
直接的でなくても、間接的にでも。必ず私たちの生活の先には人がいる。
それを忘れて生きるから、奪い合いや争いが起こってるんだろうな。
災害で電気が止まった時、不便だったけど生きてた。
3日くらい停電してたけど、4日目には電気がついて大喜びした。
電力会社に文句を言う人もいたけど、後日この地域のために他県からも復旧応援に来てくれていたことを知って、感謝があふれた。
人は助け合いながら生きていることを実感した出来事だった。
それを、当たり前と取るのか、感謝で生きるのか。私は後者でいたい。
これからも、災害は起こるかもしれないけど起こることに抵抗するよりも、起こった後にどう在るのか。
深刻さだけ抱えて生きるのか、真剣に楽しみながらユニークに生きるのか、すべての事象は問いかけてる。
「あなたはなにか?どう生きるか?」と・・・
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